2025年09月18日

ひと間あけて

とか、一拍置いて、などのように表記する。
なんのために使うのか。


人間の会話はリアルタイムで進む。
相手の会話に対して、いわば反射神経で返している。
会話のうまい人は、反射神経のいい人ともいえる。
丁々発止で返して、どんどん盛り上げることができる。

しかし、こうした動物的な条件反射ではない会話もある。
考えながら話すときである。
重要なことを話したいとき、
下手なことを言ったら揚げ足を取られるようなときは、
考えながら、慎重に言葉を出していく。

それだけではない。
感情が高ぶっているのだが抑えているときとか、
泣きそうだけど話さないといけないときなど、
「自分の感情とは別のことをいう」ときもある。

こうしたときに、
内面をいちいち描写することは脚本ではない。
小説ではそうした手法もあるから、小説でどうぞ。

脚本でやるべきことは、
「一拍置いて」とト書きに書くのみである。
その人がどう思っているかは、
これまでの文脈でわかる。
そして、一拍置いたからには、
重要なこと、彼の考えと発言が別のことが、
次に出てくることを我々観客に準備させるわけだ。

お母さんが怒っているときに、
一拍置いたら、だいぶ大事なことで怒るだろうな、
と身構える瞬間だ。
盛り上がっていないデートで、
彼女が一拍置いて何かを言おうとしたら、
たいていよくないことだよね。

あるいは、部長に会議室に呼び出されて、
一拍置いて何か言われるときは、
ろくなことじゃない。

この、緊迫を「一拍置いて」は、
つくることができる。
そのあとの発言内容によって、
大事なことであったとか、
心とは違うことを言おうとしていたとか、
とにかく、
「反射で心の中をそのまま思ったようには言っていない」
ことが、
一拍で表現できるわけだね。

もちろん、一拍置く以外にも、
方法論はたくさんある。
滔々としゃべっているのだが、
手は何か別のものをいじっているとか、
営業スマイルから表情が変わらないとか、
実は冷や汗が出ているとか。

こういう時は「嘘をついているとき、彼女の目線は斜め左を見るんだ」なんてことを前振っておいて、
彼女が一拍置いて「今日のデートは楽しかったわ」
というときの目線がどっちを向いてるかで、
嘘かほんとうかがわかるわけだね。

古今東西、
セリフは嘘をつく。
嘘か本当か分からないのが人間で、
その本質を描くのが物語だから、
物語の中の嘘は、現実のそれよりも多いと思う。
現実に素直で嘘をつかない観客ばかりだとしても、
物語の大半は嘘をつくやつの話である。

で、その最もローコストなやり方が、
「ひと間をおいて」「一拍あって」なわけ。

「よく来た。歓迎するよ」
「よく来た。(一拍あって)歓迎するよ」
だと、後者は明らかに何か別の意味の歓迎がある、
ということが分るだろう。
たとえばボコボコにされるとかね。

「愛してる。ずっと」
「愛してる。(一拍あって)ずっと」
この間はどういう意味に取れるだろう?
たとえばこれを言った人が、癌になって、余命いくばくもないとしようか。
でも「ずっと」と言うってことは、
嘘だけど本心ってことになるわけだ。
浮気してる人がいて、そっちに乗り換えようかなー、でもキープしたいしなー、
なんてときにも、この間を入れると分かりやすくなるだろう。
これは嘘だな、と観客にもわかるということだ。
もっとも、会話の相手が察してしまったら意味がないので、
そこはうまくかわしたいところ。
たとえば「嘘でもうれしい」と相手がいえば、その嘘ごと飲み込む、という話になるよね。

こうして、間ひとつで、
意味が変わってくるわけである。
なぜ脚本家が「間」と書くか、わかったであろうか。

もっとも、ただもったいつけて「間」を書く阿呆もいる。
あったときとないときで区別がつけば、
ある意味がある。
とくに変わらないならば、それは脚本家の間の指示が間抜けってことだ。

下手な役者ほど、
不自然な間を取って演じようとする。
自分が謎めいた存在で、注目に値される、
という承認欲求でやっていることがある。
ざっくりいえば、自分に酔っているわけだ。
それはなんとしてでも、自然に戻すべきだろう。
その悪目立ちは意味がない。
お話の進行にノイズになってしまう。


「よし……。了解した」と言われれば、
たぶん腹に何か収めた、ということになるだろう。
「お腹は……、すいてないです」と言えば、
どこかほかのところで食べるつもりかもしれない。
「俺……、やっぱ死ぬわ」と言われれば、
止めてほしい、という意思を感じる。
「……」だけでもその間を表現できるわけだ。

もちろん、「……」は、
単に安心してほっした感じを表したり、
言葉にならない感情を表現したり、
逡巡や何か別の感情を示したりすることがあるので、
単に心と表現が裏腹である、ということだけを表現するものではないので、
取り扱い注意記号でもあるよね。

大事なのは、
結局文脈だ。
ここでこの人はこういうことを考えているはずで、
ここでこう言うからにはきっと本心は別にあるんだ、
という文脈であれば、
間があろうがなかろうが、そのように感じるだろうし。

その間はなんの間か?
間ほど難しいものはないが、
ひとつずつ使いこなせるようになりたいものだ。
posted by おおおかとしひこ at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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