とか、一拍置いて、などのように表記する。
なんのために使うのか。
人間の会話はリアルタイムで進む。
相手の会話に対して、いわば反射神経で返している。
会話のうまい人は、反射神経のいい人ともいえる。
丁々発止で返して、どんどん盛り上げることができる。
しかし、こうした動物的な条件反射ではない会話もある。
考えながら話すときである。
重要なことを話したいとき、
下手なことを言ったら揚げ足を取られるようなときは、
考えながら、慎重に言葉を出していく。
それだけではない。
感情が高ぶっているのだが抑えているときとか、
泣きそうだけど話さないといけないときなど、
「自分の感情とは別のことをいう」ときもある。
こうしたときに、
内面をいちいち描写することは脚本ではない。
小説ではそうした手法もあるから、小説でどうぞ。
脚本でやるべきことは、
「一拍置いて」とト書きに書くのみである。
その人がどう思っているかは、
これまでの文脈でわかる。
そして、一拍置いたからには、
重要なこと、彼の考えと発言が別のことが、
次に出てくることを我々観客に準備させるわけだ。
お母さんが怒っているときに、
一拍置いたら、だいぶ大事なことで怒るだろうな、
と身構える瞬間だ。
盛り上がっていないデートで、
彼女が一拍置いて何かを言おうとしたら、
たいていよくないことだよね。
あるいは、部長に会議室に呼び出されて、
一拍置いて何か言われるときは、
ろくなことじゃない。
この、緊迫を「一拍置いて」は、
つくることができる。
そのあとの発言内容によって、
大事なことであったとか、
心とは違うことを言おうとしていたとか、
とにかく、
「反射で心の中をそのまま思ったようには言っていない」
ことが、
一拍で表現できるわけだね。
もちろん、一拍置く以外にも、
方法論はたくさんある。
滔々としゃべっているのだが、
手は何か別のものをいじっているとか、
営業スマイルから表情が変わらないとか、
実は冷や汗が出ているとか。
こういう時は「嘘をついているとき、彼女の目線は斜め左を見るんだ」なんてことを前振っておいて、
彼女が一拍置いて「今日のデートは楽しかったわ」
というときの目線がどっちを向いてるかで、
嘘かほんとうかがわかるわけだね。
古今東西、
セリフは嘘をつく。
嘘か本当か分からないのが人間で、
その本質を描くのが物語だから、
物語の中の嘘は、現実のそれよりも多いと思う。
現実に素直で嘘をつかない観客ばかりだとしても、
物語の大半は嘘をつくやつの話である。
で、その最もローコストなやり方が、
「ひと間をおいて」「一拍あって」なわけ。
「よく来た。歓迎するよ」
「よく来た。(一拍あって)歓迎するよ」
だと、後者は明らかに何か別の意味の歓迎がある、
ということが分るだろう。
たとえばボコボコにされるとかね。
「愛してる。ずっと」
「愛してる。(一拍あって)ずっと」
この間はどういう意味に取れるだろう?
たとえばこれを言った人が、癌になって、余命いくばくもないとしようか。
でも「ずっと」と言うってことは、
嘘だけど本心ってことになるわけだ。
浮気してる人がいて、そっちに乗り換えようかなー、でもキープしたいしなー、
なんてときにも、この間を入れると分かりやすくなるだろう。
これは嘘だな、と観客にもわかるということだ。
もっとも、会話の相手が察してしまったら意味がないので、
そこはうまくかわしたいところ。
たとえば「嘘でもうれしい」と相手がいえば、その嘘ごと飲み込む、という話になるよね。
こうして、間ひとつで、
意味が変わってくるわけである。
なぜ脚本家が「間」と書くか、わかったであろうか。
もっとも、ただもったいつけて「間」を書く阿呆もいる。
あったときとないときで区別がつけば、
ある意味がある。
とくに変わらないならば、それは脚本家の間の指示が間抜けってことだ。
下手な役者ほど、
不自然な間を取って演じようとする。
自分が謎めいた存在で、注目に値される、
という承認欲求でやっていることがある。
ざっくりいえば、自分に酔っているわけだ。
それはなんとしてでも、自然に戻すべきだろう。
その悪目立ちは意味がない。
お話の進行にノイズになってしまう。
「よし……。了解した」と言われれば、
たぶん腹に何か収めた、ということになるだろう。
「お腹は……、すいてないです」と言えば、
どこかほかのところで食べるつもりかもしれない。
「俺……、やっぱ死ぬわ」と言われれば、
止めてほしい、という意思を感じる。
「……」だけでもその間を表現できるわけだ。
もちろん、「……」は、
単に安心してほっした感じを表したり、
言葉にならない感情を表現したり、
逡巡や何か別の感情を示したりすることがあるので、
単に心と表現が裏腹である、ということだけを表現するものではないので、
取り扱い注意記号でもあるよね。
大事なのは、
結局文脈だ。
ここでこの人はこういうことを考えているはずで、
ここでこう言うからにはきっと本心は別にあるんだ、
という文脈であれば、
間があろうがなかろうが、そのように感じるだろうし。
その間はなんの間か?
間ほど難しいものはないが、
ひとつずつ使いこなせるようになりたいものだ。
2025年09月18日
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