押下した先こそが僕のホームポジションであり、
構えているときはそこから外れた状態。
中心に向かって戻るときに、キーキャップをはねのけて、
「帰る」感覚。帰ったらまた適当なところに旅立つ。
ホームポジションが構えで、
アクチュエーションに向かって突き込む感覚とは明らかに違うと思う。
前記事でgoではなくcomeである、などのように書いたが、
別に何かが来るのではないので、returnが正しい?
とはいえ、自分中心に見たとき、
自分が動いているのではなくて、
周りが動いているような感覚にはなる。
相対性原理的なことか。
だから、文字の着地点がやって来る、ような感覚にはなっているね。
動いて取りに行く、
というよりかは、
自分の体勢を整えたら勝手に周囲が動く感覚になり、
勝手に完成形が完成している、
という感覚なので、
やっぱcomeといってもいいのか。
帰る、という自分の意志を持っているreturnでもいいが、
より自分の意志はもうなくて、
勝手に完成形に至る、という境地のような気がするなー。
ジークンドーのストレートリードでいえば、
突くためにそのフォームを取っているのではなくて、
そのフォームを体が完成したら、勝手に突きこみが終わっている感じ。
だから自分の意志は相手に接触する拳の上にいるので、
相対的に周りが動いているような感覚になるのでは。
感覚を言葉にするのは難しい。
しかも、どうも複数の感覚が人にはあるらしいので
(二種類かは不明)、
向こうと区別をしながら言語化するのはなかなかの難儀だなあ。
もっとゆっくりの現象ならば苦労しないが、
秒間4〜5打で起こっていることだからね。
おそらくはだけど、
力を入れて何かをしているのではなくて、
緊張をほぐしたら勝手に打鍵されるというような、
脱力のあたりにいるんじゃないかと思う。
構えが脱力なのではなくて、
どこかしらにキープ力が入ってて、
それを緩めたら打鍵に向かう感覚。
だから向こうのほうから正解がやって来る、
みたいになっているんじゃないか。
僕の中からは字が出ていくような感覚でものを書いているので、
指から出た字が、接触点を引き寄せ、勝手に空中で文字になる感じ?
剣の達人みたいなわけのわからん話になってきたような気がする。
少なくとも、
僕は構えできちんとした体制を取ってなくて、
かなり自由な位置にいると思う。
そこから、完成形に向かって体が勝手に取りに行く感じ。
武術の達人の話で、
「落とした帽子をとっさに空中でとるような、
意思を持たない動きが一番速いのだ」
というのを聞いたことがあるが、
それが理想なんじゃないか。
その感覚も、goして取りに行く感覚ではなくて、
自分の手の中にある状態に、体を完成させる、
みたいな感覚に近いと思う。だからやっぱcomeなのかも?
goの感覚だとどうなんだろう。
各文字に指示出し、みたいになるのだろうか。
自分は不動点になり、腕や指を伸ばしてタッチしに行く感じかなあ。
僕は軟体動物のようになって、
ぬるんと体を動かして、次々に文字があるところへ訪問する、
みたいな感じなんよなー。
これは一筆書き的な薙刀式のみの感覚だ。
qwertyローマ字みたいな線が発生しない配列ではできない。
飛鳥にはちょっとあった。
新下駄もありそうだった。
飛鳥も新下駄も極めてないので半ばの感覚だが。
おそらくだけど、
キーボードをつくった人、IMEをつくった人、
打鍵法をつくった人は、
goの感覚でつくったのではないか。
少なくとも親指シフト時代まではね。
僕はそれとは違う感覚の場所から来たので、
ちがうよ、と言いながら、自分に合うものを、
つくっているような気がするなあ。
2025年08月15日
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