2025年08月23日

超絶技巧(漫画「アドルフに告ぐ」評)

長編手塚ブームが勝手に来てるので、
高校生以来の再読。
あの時は「なんかすごいものを見た」
という脱帽だけの感想だったけど、
今なら手塚の超絶技巧プロットを、
少し分解できる。

僕は手塚の最高傑作がこれとは思えない。
むしろ円熟したプロットの見本市だと思う。

以下ネタバレで少し分解してみよう。


大河である。

何十年もかけた話であり、
複数の登場人物の、
生涯の顛末を描くタイプの、
手塚長編の得意のスタイルだと思う。

必ず間あいだに、
数カ月や何年もの空白期間があることが特徴。
まあ大河なのだから当たり前と思ってはいけない。
手塚のやり方の特徴は、
「空白期間を挟むと、住んでるところや職業が、
まるで変わってるところからスタート」
ではないかと思った。

いや、手塚特有の特徴ではなく、
大河ものにはよくあるかもしれない。
ただ、手塚のやり方としては、
わざと時間を飛ばしたら、
職を転々と変えている、
というのはわざとやっている気がする。

「絵で見せる」ものだから、
ビジュアルが変わることを意識してると感じた。

もし手塚が小説家なら、
ここまで変えなかったのではないかなあ。

主人公の一人、峠は、
新聞記者から日雇いからホームレスから、
レストランの手伝いから、
飲み屋の手伝い?から、物書きへと、
変転しまくる。
アドルフ・カウフマンは、
子供、ドイツ学校、エース、ヒトラーの側近、
日本へのスパイ、ゲリラへと変転しまくる。
アドルフ・カミルは、
子供、パン屋、防空隊長、ゲリラへと変転しまくる。

女を絡めるのも特徴だ。
誰かを愛する、惚れられる、
一緒にいる、別れる、
相手が死ぬ(自殺、殺される)、
などによって、
「今どの状態か」のステータスが、
目まぐるしく変わる。

これは、わざとだろう。
ビジュアルを変えるのもある。
たとえば峠は左腕を負傷して、
左手が効かなくなり、
空襲では耳と聴力を失う。

そうした欠損も、ビジュアル上よく利用する傾向があるね。


そして、
大体どの作品でも、
最初に起こった事件がとても奇妙で、
それが最後まで作品を貫く軸になる。

この話では、
いうまでもなく、「ヒトラーがユダヤ人である」
という証拠だ。

このセンセーショナルなアイデアがこの作品をずっと引っ張る、
狂言回しになるわけだ。

隠蔽と暴露と裏切りと暗殺など、
陰謀が渦巻くこうしたアイデアを、
手塚は思いつくのがうまいと思う。

もちろん、
「ヒトラーがユダヤ人ってしたろ!」
だけ思いついてもこの話をつくることはできまい。

それからフィニッシュに至るまで、
無限のアイデアが必要になる。
だが最後までこれらが貫かれるのが、
手塚長編の特徴な気がする。



よく手塚が使うパーツがある。
盗み聞き、入れ違い、横恋慕、果たされぬ約束、
レイプ、アクシデントによる事故死、
親子関係、あの時の子供が成長して大人に、
などかなあ。
たぶんもっとある。
陰謀、謎、隠蔽、逃亡、謎を追う執念の者、
などと基本パーツになるね。

どうやってこの話をつくるのか?
を考えると、
○○年から○○年まで描こう、
をまずは決めるんじゃないか。

そこに入る重要事件を取り出して、
それと個人的ストーリーがシンクロするようにつくるのでは。

この話で言えば、
盧溝橋事件、ポーランド侵攻による第二次大戦、
パリ陥落、アメリカ参戦、日本の本土爆撃、
第二次大戦終結、
そしてパレスチナ戦争、
などだろう。

これは火の鳥でも巧みに使われる技で、
歴史的事件と、登場人物たちのストーリーを、
巧みに絡めるのがうまいと思う。

とくに今作では神戸の空襲が、
手塚の実体験に基づいたかのようなリアル感があり、
神戸→帝塚山といった地元でしかわからない距離感が、
実感を持って描かれていた。

もうこうやって作品中にかいてしまえば、
自分の記憶なのか作中の話なのか、
ごっちゃになってしまうんじゃないかねえ。


あとは、
主役を3人置く、
というのもよくある技のような気がする。

1人、2人だと単純な話になるから、
3人の人生を大河として描き、
最後に交錯するように持ってくる、
というのが技なのではないか。

とくに今作はめずらしく、
2人のアドルフが直接対決するという、
あまりない形式になっている。

この時のビラが「アドルフに告ぐ」
であったときの、
タイトル回収の凄まじさよ、
って思ったな。
ここに至るまでの話だったのかと。

つまりこれは、
最初からここまで考えられていたということだ。



これらの要素を同時にさばければ、
これだけの入り組んだストーリーが書けると思う。
いや、無理だろ。
それができるのが手塚だったと思うと、
どうなってんだ頭の中、と思ってしまう。

たくさんのたくさんの話をこれまで書いてきたからこその、
熟練度の高いパーツを組み合わせた、
ストーリーテリングといったところかなあ。


細かい構成としては、
章単位で構成がきっちり計算されていることに驚く。
章がまったく別のところからはじまり、
章のクライマックスに来たら、
ずっと気になっていた焦点と合流する、
という構成で、ハラハラドキドキさせていたと思う。


男だけでなく、女の絡ませ方がうまいよね。
親子の情もね。

あとたいてい陰謀を追う、
熱心ないい人の刑事か、
冷酷な悪役がでてくる。
前者は仁川さんで、後者はアセチレンランプ。
ランプの冒頭からの執念に対して、
ヒトラー暗殺で退場かよ、
というのはややトーンダウン。
まあヒトラーの死で、文書を追う理由がなくなってしまうしなー。
その前に峠と直接対決したかったところだが、
主役はアドルフの2人だしなー。


第二次大戦ということで、
「ドクトルジバゴ」をまたも思い出す。
こういう大河ものを、
いつか書きたいものだ。
posted by おおおかとしひこ at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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