2025年09月06日

【薙刀式】新配列に慣れると速く書けるようになる

逆説的な話。


そもそも速く書ける自分がいて、
qwertyじゃ遅いから新配列にコンバートする、
という考え方が主流のような気がしている。
でもそうじゃない考え方があってもいいと思っている。

qwertyで100の速度で書いていて、
新配列にコンバートしても100になっていただけなのだが、
新配列が便利なので、
そのうち(qwertyでは無理だった)150にいつの間にかなっていた、
ということはあると思う。

つまり、速く書く道具がなかったから、速く考えられなかった、
ということは全然ありそうな気がしたのだ。


運動に合っていない靴を履いているとしよう。
それで限界までしか走れないから、
その速度が自分の限界だと思い込んでいた、
ということはいくらでもありそうだ。
それがスポーツシューズに変えたとたん、
最初はもとの速度のままだったが、
次第に足の動かし方が分ってきて、
どんどん速くなっていった、
ということは全然ありそうだ。

「速くなるのが目的」にしないほうがよい。
「より合理的になる」が目的になったほうがいいと思う。
合理的になった結果、運動動線が短くなり、
結果速くなることはいくらでもありそうだからね。

そして、思考そのものが速くなることが、
あり得るのでは?というのが本題である。


もしqwertyを使ってしか書いたことがなければ、
qwertyの限界で思考を止められているということになる。

日本語を打つのに向いていない、
日本語の上限を止めているような道具が、
その枷を外した瞬間、
「qwertyの速度で考えていた」から、
次の速度へ行く可能性があると思う。

そして思考が速くなった結果、
qwertyに戻ってくると、
もとのqwertyよりも速くなっている、
ということがままあるのではないか、
と僕は考えている。

つまり、指の運動神経の話ではなくて、
頭の中に文章が現れる速度の話をしているわけ。

速く走れる車に乗ると、
信号の認識とか、交差点の認識ととかが変わってくるような気がする。
そのうち判断も速くなるのではないか。
それが遅い車に戻っても、
認識自体は速いので、運転自体はうまくなり、
結果遅い車でもちょっとは速くなる、
みたいなことではないかと思われる。


薙刀式は1000〜1500字(変換後)/10分で、
考えられるようになる配列ではないかと思う。
僕はもっと速く考えたいので、
その先がないかと摸索中ではあるがね。

配列によって文章が加速するようになると、
考えるのに余裕が出てくる。
そのことによって、
結果たくさん考えられて、
速くなる、ということはありそうだ。
速さとは余裕でもあるわけ。


つまり、新配列をやる目的は、
余裕を持つためにやる、とも言い換えられるな。
posted by おおおかとしひこ at 14:22| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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