2025年09月23日

ネタバラシに無理がある(「スイスアーミーマン」評)

見てなかった映画を見るシリーズ。
前半ギャグ、後半ゾンビ?と友情を交わす系。
果たしてその結末は。

邦題がよろしくない。
「死体とする旅」でよかったのでは。

しばらくネタバレなしでつづけます。


「スイスアーミーナイフ」というのは、
いわゆる十徳ナイフのこと。
この死体は色々便利使いができるので、
スイスアーミーナイフではなくて、
スイスアーミーマンだ、
というのがタイトルの意味。
(作中に言及はない)

スイスアーミーナイフが浸透してない我が国では、
それをもじられてもなんのことかわからない。
僕も覚えられなくて、
「ダニエル・ラドクリフ 死体」とかで検索して、
ようやくたどり着いた。

とはいえ「十徳死体」と意味を直訳されても、
ますますわからんだろう。
直訳的に「なんでもできる死体」?
四次元ポケットになぞらえて「四次元死体」?

でもそれだけじゃ面白そうなタイトルにならないので、
「死体とする旅」でよかったのではないか、
と思った。

面白そうと引きがあること、
記憶に残ること、
実はテーマを暗示してること、
のみっつが入っていると思う。

宣伝ビジュアルもよろしくない。
英語版は無人島で主人公とゾンビが背中合わせで座っている。
これはオープニングシチュエーションそのもので、
実はネタバレをしている。

日本公開版は、オープニングギャグ、
ゾンビをジェットスキーにする場面だ。
でもこれはツカミにすぎず、テーマではない。
なので全然芯を食ってないビジュアルなのよね。

僕は、ジャングルの中で死体を背負って彷徨ってるビジュアルが、
いいのではないかと思ったがね。


なぜか動いてしゃべる死体。
腐敗ガスがジェットのように出て、
雨水もためられて、
悩みも語れて、
勃起したら故郷の方角を指してくれる。
口にものを詰めて腐敗ガスで飛ばせば武器にもなるし、
焚き火で火をつけたら火炎放射器にも。

なんでもできる死体。
それと一緒に旅して、
ようやく無人島から人里に帰ってくる話だ。

僕はそれだけでよかったのではないかと思う。
ラスト、死体が死んでて、
それを静かに埋めて、
その後日常に戻ってバスに乗ってたら、
サラが乗ってきて、
「やあ」と声をかけて、
「?」となった彼女に、
「無人島へ流れ着いて、奇妙な目にあったんだ。
その話を聞くかい?」と話そうとするのだが、
「次で降りるので」と断られて降りられて、
「それでも僕は、話しかけたよ」で、
終われば良かったのではないか。

たぶん、ラストのラストを思いついてしまったので、
あのようなねじれたネタバラシになったのだろう。

その構造が変だと思った。
もう少しなんとかなるやろってね。
なので、ヘンテコで泣ける異常場面なラストも、
うーん、と思いながら見ていた。
あんまり深く考えなければ泣けるのかも知れないがね。

ということで名作の仲間入りではないな。


以下ネタバレで。








サラの家にたどり着くってなんだよ、
ってご都合主義からの、
実は彼女の家の裏手の森で、
ずっと逃避のための冒険ごっこをしてただけでした、
彼は悲しみのあまり半分狂っていたのですが、
彼との旅で一つ成長した大人になったのです、
というのは、無理がある。

ケータイの電波が入らないのは?
熊は?
もしケータイの充電が切れたら、
彼は冒険をやめて、家に帰るつもりだったのだろうか?
1回剃ったヒゲが、
以降生えてこないのはなぜか?

死体は実は動いても喋ってもいなくて、
彼の見たイマジナリーフレンドだった、
というのはいい逆転だけど、
途中のレポーターがずっと2人の名前を逆に言ってたのは、
ノイズじゃない?
「実は二人は逆だった」というのは斬新などんでん返しだ、
俺は死体だったようなものだから、
という意味になりそうな展開に、
どういうことだろうと身構えたら、
単にレポーターが間違えてた、はむごくないか?

そもそも死体を担いでたとしたら、
腐敗臭とかひどくて、
耐えられたものではないのでは?
などと、
リアリティの構築がめちゃくちゃに感じてしまう。


喋って便利な死体がいたが、
彼が成長したとともに喋らなくなり、ほんとうに死んだ、
という「大きな一つの嘘」をつけばよかったのに、
その嘘を「実は彼女の家の裏手の森で遭難ごっこをしていただけだった」
に書き換えるのはかなり無理がある。
だとしたら死体ではなくて、
ダッチワイフとか等身大人形(広告のような)でよかったのでは。

ゾンビとの旅というアイデアと、
ネタバラシの部分の齟齬がかなりあると思う。


オープニングのツカミは相当切れがよくて、
タイトルが出るところがピークすらある。

あれをやっちゃうと、
ラストまで続かないのよね。

それとラストがペアになって、
その間を考えなきゃならない、
となって、
うまくいかなかったシナリオのように見えた。


何かがずれている。
コメディだからいいんだよ、にしては、
何か大事な話をしようとしている。
うまくいかなかった男のカウンセリング話になっている。
そのカウンセリングが骨で筋が通っているが、
ほかの話は筋が通っていない。
そこはどうでもいいのだ、
と開き直らず、
そこにもきちんと筋を通せていれば、
けっこうな名作になりえたのに。

そこがもったいない。


俺は死体のような生き方をしてたけど、
お前と入れ替わって、
俺は生きるんだ、
という逆転で良かったと思うんだけどなあ。
どうしてもジェットスキーで去っていく死体を撮りたかったんだろうな、
としか思えない。
それは絵面として面白いが、
それをやりたいなら、
都合良く川があって去っていくとか、
後日埋められた場所から爆発して出てきて、
そのまま海へ去っていくとか、
でも良かったように思う。

俺は人前で屁がコケる人間に成長した、
という小ささは良いが、
それをやるためだけに無理がある段取りなので、
そこはもう一段深くやって欲しかったところ。

じゃあラス前の障害は、
熊じゃなくても良かったのでは、
とすら思うね。


もっと良くなる要素があったのに、
とても勿体ない映画。
そんな印象。
posted by おおおかとしひこ at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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