ビターエンドはハッピーエンドに比べて簡単だと思う。
完全に幸福になっていなくて、
幸不幸相半ばになっていれば、
大体うまく行く。
問題は、幸福と不幸のバランスだけだろう。
不幸より幸福が勝るべきであって、
不幸のほうが勝ってしまったら、バッドエンドに近くなってしまう。
完全な幸福ではないが、
苦い不幸がおきつつも、
トータルで幸福であった、主人公の行動には意味があった、
という風になると、
リアルで苦い勝利を描くことができると思う。
これは完全なハッピーエンドよりかは、
楽な選択肢だと僕は考えている。
なぜなら、リアルで完全なハッピーエンドになることはめったになくて、
何かが痛み分けになっていることなどがよくあるからだ。
だからビターエンドはリアリティがあるエンドだともいえる。
だからこそ、
完全なるハッピーエンドにならないかなあ、
などと僕はよく思う。
短編は、ビターエンドになっているとよかったりする。
そんなにリアルに完全なハッピーエンドになることはないから、
現実的勝利で終わる程度がちょうどよい場合がある。
短いけど完全なハッピーエンドは嘘くさいからね。
だけど、2時間かけて完全勝利にならないのは、
やっぱりどこか組み立てがぬるいんじゃないか、
って思ってしまう。
つまり、ハッピーエンドが出来ないから、
ビターエンドに逃げているのでは?ということだ。
もし色々考えてもビターエンドになってしまうならば、
その苦い成分の何かをハッピーエンドに変えることが出来ないか、
考えてみよう。
いくつかの要素が相反してそうなっていることが多いと思うので、
それらが矛盾なくハッピーになるには、
どうしたらいいか考えよう。
そのために、物語は嘘をついてよい。
一つの大きな嘘から始まったことを信じるかぎり、
それは帰結に影響するはずだ。
それが、「完全に閉じた」という感覚をつくり、
最初から最後まできちんと計算されたハッピーエンドであった、
という満足感を得ることに寄与すると思う。
あー、「リアル」という言い訳をして、
ビターエンドに逃げやがったな、
というのは、よくあることだ。
それより難しい、
ハッピーエンドに至るようにしよう。
お子様向けのハッピーエンドではなくて、
大人向けのハッピーエンドはどういうものかを、
考えてもよい。
リアルなハッピーエンドというのは、
着地点、落としどころがあるものだ。
それはどこかを考えて、
そこに向かって話を進めてもよい。
2025年11月09日
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記事内容とズレておりましたら申し訳ありません。
先日、創作仲間の友人から「あんのこと」という実話を元にした邦画の感想を聞きました。
「こういう人の実話を元ネタにした映画で金を稼ぐのはどうなのか。また、こういう作品の元になった人物がいると、他の人が声を上げづらくなるのではないか(感想や批評についてなのか、当事者たちが、なのかは友人に聞きそびれました)」とのことでした。
海外の作品でも実話の事件などを元にした映画は多い印象なのですが、こういった実在の不幸な話を映画とすることに意味はあるのでしょうか。
大岡監督のご意見を伺えればと思います!
また、私事で恐縮ですが、このたび創作の世界で継続的なお仕事を頂ける運びとなりました……!
大岡監督のブログや脚本添削スペシャルで勉強させていただいたおかげだと思っております、こういったブログを書いて下さり、本当にありがとうございます!
人生の恩人です!
おっ、おめでとうございます。
これでこのブログも「プロを輩出!」と大袈裟にいえることになります。w
「教師は水飲み場に連れてくことができるだけで、
水を飲み血肉にするのは本人の努力」という格言もあるので、
自分の努力の成果と胸を張って生きるべきです。
ドキュメントでない限り、
いや、ドキュメントですらも、
作者の作為が介在します。
なのであくまで「もとにした」といういいかたをするのでしょう。
もとにされた人がどう捉えるかはそれぞれですが、
その作品に登場する人はすでに別人であり、
そのキャラクターの意匠権は基本的に脚本家側にあると思います。
(実際は配慮して折半になるのかしら。
アメリカだとどれだけ事実と異なるか調べて、
比率で決めそうな気もする)
インド映画「ダンガル」は超おすすめですが、
あの親子は実在の人をもとにしたとしても、
かなり創作入ってると思いますがね。
あれはアニマル浜口をもとにした、
くらいのレベルかもしれないし。
無断でやるわけじゃないし、
その人がOKっていえばOKでしょう。
その人が断れば、全然変えちゃえばいい。
僕は「実話を元にした」というのは、
「多少面白くなくてもゆるしてね」という、
宣伝側のエクスキューズだと思ってるので、
基本的には1ランク下の映画だと考えます。