2025年10月03日

【薙刀式】qwertyを手足のように使える人

たまにいる。
僕は素直にすごいと思う。
同時に、そのすごさを国民に強制するのを、
間違ってると思ってしまう。


azooKeyの中の人がqwertyで、
ATC 190を出している。
まじすげえ。
IMEの変換力に負うところも大きいのかしら。
AI変換と、AI生成文(Claudeによる)との、
相性の良さもあるかもしれない。

とはいえその速度は、
qwertyを手足のように使えないと、
実現できないペースであろう。

カフェとかでもたまに見るんだけど、
マジでqwertyで速い人いるよねえ。
子供の頃、
やたらそろばん速いおばさんとか、
集団に1人はいた記憶がある。
社会人になっても、
事務のおばさんが1人だけハンコが速いとか、
そういう感じ。

「ハンコは動線が悪いのである。
もっと軌跡を短くして合理的にするべき」
というのが我々の主張であるが、
みんなの軌跡を短くしたら、
せっかくそのおばさんが鍛えてきたハンコ技能が台無しになるのかなあ。

つまり、
人間の集団がいたら、
必ずハンコが速くなるおばさんみたいなタイプが、
数十人に1人はいる感じが、
これまでの経験上ある。

学校のクラス分けでは、
ピアノを弾ける子をクラスに複数いないように、
わざとわけるそうだ。
そのことによって、
「私はピアノが弾ける特別な子」
という自認を与えて、
その才能を伸ばす意味があるのだと思う。

ハンコの速いおばさんも、
qwertyがたまたま速かった人も、
「自分にはその才能がある」と、
早々に自覚して、
その方向に成長した人なのではないだろうか。

また、人類というのは、
「それしかやり方がない」となったら、
物凄くそこを突破する根性のある人が、
数%出るような性質がある気がする。
淘汰圧をかけると、
必ず出てくる芽みたいなタイプの人。

そういう人が、
20〜50人に必ず1〜2人いる肌感だなあ。

そんな人が、
たまたまタイパーになるか、
ハンコおばさんになるか
(今ならエクセルかメールおばさんだろうか)
になるのかしら。


その上澄みをもって、
「新配列は速いなんていうけれど、
qwertyの速い人に勝てないやんけ」
と言われるのはやはり心外だ。

こっちも、ハンコおばさんみたいな人に、
薙刀式を触って欲しいものだねえ。

どっちの配列が人類の数%にリーチするかというと、
まあqwertyよな。

で、結果的に新配列たちは、
いつまでたってもハンコおばさんたちに勝てないままでいる。



azooKeyを開発したりするエンジニアたちには、
キーボードを手足のように使えている人もいる。
ただ全員ハンコおばさんなのではなく、
案外ポチポチ打ちもいる、というのは聞いたことがある。

タイピングの速さはエンジニアリングの速さではない。
ただ、普通の職場よりかは、
ハンコおばさんの才能がある人が多かろうと思う。

カメラマンになるような人たちが、
明るさや色や構図に敏感な人たちが多い、
というのは想像しやすいと思う。
(でもだからといって、カメラマン全員がそうじゃない、
というのが人間の面白さだ。
他の才能で食ってる人もいるんだよね)


薙刀式の目的は、
ハンコおばさんになれなかった人が、
やってみるといいよ、
ということかもしれない。
qwertyを手足のように使えなかった人、
薙刀式ならスムーズに打てるよ、
手が不器用でも、打てる可能性があるよ、
ではないかと思う。

つまり、敵は「自分の遅いqwerty」ではないか。


そもそもタイピングを他人と競ってどうする。
凌駕するべきは自分だろ。
……と思ってqwertyで打ってみた。

qwertyローマ字→68
薙刀式→173

よし、意味があったぜ!笑
2.5倍くらいの比率は、昔から変わらないようだ。

薙刀式は(俺にとって)qwertyより2.5倍速い!
qwertyは2.5倍劣ってるんだよ!この40%生産性が!

「どうやってもビジネスタイピング1級いかない手の人の、
生産性を3倍にする方法論」
というのが新配列の存在意義だといってもよいのでは???




とはいえ、競争心がないわけではない。
わかりやすく結果が出せれば、
こうした説明がなくても速いと伝わるからね。

僕は客観的に速くなりたいのではなくて、
「自分の思考が蒸発する前に書きとどめたい」
という、
主観的な速さを求めている。
これはこのカタナ式カテゴリの、
ほとんど最初に書いた記憶がある。

ハンコおばさんの才能は僕にはない。
その才能がない人でも速くなれる配列だと、
知らしめたいなあ。


qwertyで速い人はqwerty集団の中で数%しかいないが、
新配列でそこそこ速い人はその配列内に数10%いる、
という感じだといいのかもしれないね。

方法論の優秀さを議論したいのだから、
トップを比べるのではなく、
集団同士を比べるべき。
天才を輩出するのではなく、
集団としての優秀を輩出するほうが、
方法論としては優秀なはずだ。

そうなるまでには、
新配列ユーザーの母集団を増やさなければならず、
分かりやすい結果を出さないと認知が広まらず、
というジレンマかしら。

ということでがんばります。
posted by おおおかとしひこ at 12:42| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック