2025年11月20日

あなたが作った量ではなく、客が受け取った量が、作品のボリューム

これは客観的になっているか、のひとつのチェック指標。


あなたは一つの作品を書くときに、
色んなものを創作する。
世界、背景の歴史、
人物設定、組織の設定、アイテムや構造の設定、
そして色んなセリフ。
下調べもするだろう。
それらを織り込んでリアリティを出すに違いない。

で、どれだけ苦労してその世界をつくったとしても、観客には関係ないよ、
ということ。

作者が苦労して、ボリュームを出したなあ、
と自負したとしても、
それが客に伝わっていないならば、
うっすいものにしかなっていないということだ。

極端な例を考えようか。
あなたは東京の人で、関西の話を書こうとする。
東西の歴史観や人間観の違い、
人生で大事にするものなどが違うことを、
綿密に調べて、ボリュームのある話に仕立て上げた、
と自負しているとしよう。
しかしそれは、関西人から見たら、
そのへんのテレビでやっている、
そのへんに転がっている、普通の話に見えるに違いない、ということだ。

あなたは異世界について綿密に構築したが、
その異世界に住んでいる人からしたら日常なので、
なんのボリューム感も感じない。

話そのもの、プロットそのものしか見ないで、
設定の細かさを見ないだろう。
(よくできていればいるほどね)

あなたの渾身の描写は、
なんのオリジナリティもない、関西ではごく普通のものであったわけだ。

作者的にはフルボリュームで出したのに、
受け手からしたら、
こんな感じで、たいしたことのないペラペラボリュームで受け取っているかもね、
という話をしようとしている。

それはつまり、
「あなたが知らないものを知る過程」
というのがそのボリューム感覚に関わっている、
ということだ。
あなたが知っているか知っていないかは、
実はどうでもいい。
「観客が知らないものを知っていく過程」の、
ボリュームを考えろ、
ということを言おうとしている。

例えば、
関東も関西も、
電車の運転手の生活については詳しくないだろう。
だから電車の運転手のことについて、
細かくボリュームのある話があったら、
「ボリュームがあったなあ」と思うはずだ。
(電車オタクはそうでもない、と思うだろうが、
まあそれは大多数ではない)
それはつまり、
「知っていく過程」にボリュームがある、
ということである。

逆に、よく知っている世界の、よく知っているプロットだと、
情報量がないから、ペラペラに見えるんじゃないかな。
じゃあ、よく知っている世界でやるならば、
よっぽどプロットが何段階にも折り重なっていて、
複雑な話になっていないと、
ボリュームを感じないだろうね。


あなたが想像しているより、
観客はやせていると感じるかもしれない。
あるいは、あなたが知っていることを、
知らない人に出すために説明しすぎると、
情報量多すぎ、となるかもしれない。


つまり、知らない人が、
これを受け取ったときに、
どの程度のボリュームと感じるか、
というのを、
我々は想定していく必要がある。

それを想像できないのは、
送り手として能力がないのだ。
あなたの苦労は関係ない。
観客がどういう楽しみをするのかを、
0ベースから想像しないと、
観客がどう受け取るかなんて、
想像できないというものだ。
posted by おおおかとしひこ at 09:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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