久しぶりにタイピングゲームをやってると、
創作文との違いが如実にわかる。
そう、この急かされている感覚は、
創作文にはない。
文が既に完成してるから、
だと思う。
だから、完成対自分になってて、
「早く完成させろよ」と、
正解を1に絞られている感覚。
「レールの敷かれた人生」などというが、
つまりコピー打鍵とは、
そのレールの中でいかに効率よくするか、
というゲームをしている。
だから、急かされる気持ちがずっと続く。
プレッシャーという名前だろうか。
アドレナリンは出るのだが、
創作文の「ようし名文をものにしてやろう」
「うまくこの考えを言語化しよう」
という冒険のアドレナリンではなく、
「はやくしろよ」というタイプのアドレナリンだ。
つまり、後ろに並んでいるのがわかって、
うんこをしなければならない感じかな。
ある程度時間がかかるのがわかっていて、
できるだけそれを縮めなければならない。
しかも100%制御できるわけではない。
そういうプレッシャーのアドレナリンが、
ずっと出ている気がする。
創作文はそうではない。
どっちへ行っても構わない。
むしろ、行く方向を決めなければならない。
こっちへ行ってみよう、
いやこっちへ行くべきかもしれない、
をちょいちょい考えながら、
地面を踏んでいかなければならない。
あるところからあるところまでは、
スムーズにいく。
大体頭の中で出来てる時だ。
それが終わった時に、
どこへ向かうか速度を緩めて、
あるいは立ち止まって、
考えなければならない。
これまでの論旨を俯瞰して、
ブロックとブロックの係り具合を見て、
次はここを掘るべきだ、
なんて考えなければならない。
オチが見えてるならば、
どこかで伏線を張るべきだ。
あれはあとで使おう、
も同時に考える。
それをやりながら、
各単語の接続や組み合わせは、
これでいいのか、
もっとうまく言えないのか、
などを考えながら進めている。
締め切りはあるが、
大体これくらいあれば書ける、が分かってるから、
急かされることはない。
なんなら締め切りは交渉してずらせる。
プレッシャーがあるとしたら、
「おもしろいのか?」だけだ。
それに対してお前はどういう面白さで返すんだ?
だけだ。つまり質を問われている。
だから、「おもしろさに近づいたぞ」が、
言葉と言葉の間からにじみ出てくるわけ。
これらの創作における、
すべての「よろこび」こそが、
創作文のアドレナリンだ。
よし、面白いパズルをつくったぜ、
というアドレナリンが近いのかな。
僕がタイピングを速くなりたかった理由は、
ドバドバ出てくるアドレナリンが、
タイピングが遅くて両手からこぼれてしまうのが、
悔しかったからだ。
一滴も取りこぼさねえぞ、
そのためにはどうしたらいいんだ、
というのを考え始めた。
そして、
「書くとまた次が出てくる」
という「書く」ことの芋づる現象を、
手書きだけでなくタイピングでも再現したくて、
薙刀式の配字を決めたように思う。
つまり、連続にアドレナリンが出るような、
そういう仕組みをつくっている。
このアドレナリンの出方と、
コピー打鍵のアドレナリンは、
違うものだね。
どこへ向かう?どう組み立てる?
新しい意味をつくれたぞ、という喜びに対して、
作業を正確にミスなく速くしろよと、
後ろからずっとプレッシャーをかけられるもの。
コピー打鍵のよろこびは、
「ミスしなかったぞ」と「結果報酬」だけだ。
まったく異なる事を、
「タイピング」と呼んでいる気がする。
昔極真空手の大会で、
自由組手で決着がつかないとき、
体重も同じような時は、
「瓦割りの枚数」で勝敗を決めるルールがあった。(まだあるのかな)
動く相手を凌駕する自由組手のアドレナリンと、
止まった瓦を何枚割れるかという作業のアドレナリンは、
まったく質の異なるもので、
僕はいまだに「?」と思う。
自由試合を散々やったサッカーが、
PKで勝敗決めるみたいな理不尽さを感じる。
僕にとってタイピングとは、
「手書き」と同じジャンルで、
紙とペンの代わりに別の道具を使うことにすぎない。
つまり、書くときに何の道具を使ってるかの話であり、
ペンキ塗りでもしょんべんで壁に文字を書くでも、
キーボードでもいいということだ。
たまたまPCとキーボードを使うときだけタイピングと呼んでいるにすぎない。
タイピングはつまり手段の名前であり、
目的ではない。
コピー打鍵は、タイピングが目的になっている。
「この作業をタイピングでどれだけ正確に速くできますか」
を競うだけだからだ。
僕の批判点は、
「タイピングは手段として劣ってないですか」であり、
別にタイピングを目的にしたいわけではない。
なるほど、
だいぶ違いが見えてきた。
僕はタイパーになるつもりは全然ない。
ゴールや作業内容が見えてる作業は一番嫌いなタイプなので、
だからゴールや作業内容を工夫する、
創作者となったわけだからね。
天才と秀才を比較する話がある。
京大は天才を集め、東大は秀才を集めるみたいな。
僕は天才タイプなんだな。
秀才のやり方が嫌いなのだ。
なんで京大に行ったのかあきらかだ。
東大くんになるつもりは、人生になかったんだ。
僕が一番嫌いなのは、「命令に従う」だな。
人の下につけるタイプではない。
だから、自分の創造した世界の主になりたいのだ。
(現実でコミュ充であれば、政治家にでもなりたいわ)
という、
自分の特質すら、
コツコツ打って見えてきた。
まあ、修行僧が別の事を考えてる、みたいなことだな。笑
さあ、今日も急かされるか。
速く正確にやらないと、次にうんこをもらしそうな人がいる。
そういうゲームを楽しむために来たのだ、
と思えば気楽なものさ。
コピー打鍵は「はやくしろよ」、
創作文は「はやく面白くしろよ」だ、たぶん。
2025年10月05日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック

