2025年10月06日

【薙刀式】コピー打鍵は過去を見ている

コピー打鍵は、僕が普段やってる物書きと、
根本的な意識が違う。
何が違うんだろうと言語化したい。

とりあえず思いついたのは、
コピー打鍵は過去を見ているってこと。


すでに過去に出された結論がある。
すでに積まれた荷物があり、
それを右から左に運ぶことがコピー打鍵だ。
クロネコヤマトや佐川急便みたいなものか。

結論は過去にあり、
それを運ぶ作業がコピー打鍵だ。

作文、創作文、ものかきはそうではない。
結論はまだ見えていない。未来にある。
過去から出発して、
過去と現在を結んだ先に未来があると予測して、
そこへ近づこうとする行為がかきものだ。
アプローチの仕方は決まっていない。
考えて、取り付く島を探し、
どの角度から攻めていけばいいのか考えてゆく。

この、考える行為、結びつけていく行為が書くことそのものだ。


コピー打鍵は考えていない。
結論は過去に出ているので。
だから、考えに余裕がある。
考える内容は作業効率である。

ここで変換入れようとか、
タイパーなら最適化のどれを使おうとか。
先読みとかミス訂正とか。

創作文にそんな余裕はない。
考えることに基本全振りしているからだ。


この、肉体と精神の関係が、
コピー打鍵と創作文で、
まるで異なる。

コピー打鍵は観察と判断だ。
エンジンが何度に達しているから冷却水を増やそうとか、
タイピング回転そのものに注意を向ければ、
コピー打鍵はうまくいく。

創作文はそれをやってる暇はない。
次に何を書くべきか、
今書いたことは妥当なのかを考えている。


タイパーによるqwertyローマ字が、
なぜ新配列よりも速いのか?は、
新配列勢の謎である。
動線効率、打鍵効率のいいはずの新配列が、
なぜそれより劣るqwertyローマ字より速度が出ないのか?
は、長年謎とされてきた。

だが、これは、
「打鍵観察をしている余裕」が、
コピー打鍵専門のqwertyタイパーには沢山あると考えると、
辻褄が合うような気がする。

未来の書きものをするのではなく、
単純に過去の結論を作業として写す場合では、
qwertyローマ字は簡単なので、
新配列の複雑な操作よりも脳のキャパを使ってないのでは、
その分先読みや変換の切れ目や最適化に、
余裕があるのでは?
という説を出してみよう。

過去の結論をコピーするとき、
その結論の意味を理解しなくてもよい。
極論、模様を写すマシーンになればよい。

このとき、複雑なシフト機構をもつ新配列よりも、
単純なマシーンのほうが、
脳の回転キャパが余ってるのでは?
それを打鍵監視コストに回せるのでは?
ということだ。


たとえば大西配列のような無拡張ローマ字は、
同じ原理でqwertyと戦えるかもしれない。
打鍵監視コストが同じと仮定できるからだ。

あとは、訓練の度合いで決まりそう。
つまり、
長年訓練されてるqwertyローマ字タイパーが、
結果的に一番強い。

これは、
あくまでコピー打鍵という、
過去に積み上げた荷物を右から左に運ぶだけの仕事をするときの話だ。


新配列はそれ目的でつくられていない。
創作文をやりやすいようにつくられていて、
なるべく創作脳を圧迫しないようにつくられている。
文節単位で考えて、
数文も一括変換するような仕組みになっていない。


つまりコピー打鍵で速いのは、
文章内容ではなくて、
打鍵組み立て効率に脳を使える配列が、
最強なのでは?という仮説が出てくる。

つまり悪運指があり、
その代わり強力な良運指があり、
悪運指を最適化で良運指に変えられる配列で、
その回転に脳をフル活用できる配列が、
結果、コピー打鍵最速になるのでは?
ということだ。

打鍵数や動線経路は、競技時間数分では差がつくまい。
それよりも脳の回転の速い方がいいはず。


新配列は、そんなことに脳を使わないようにできている。
最短経路で、
同じ運指を使い続け、
打鍵に余計な脳を使わない事を目的としている。

大西配列も同じ運指を使う想定だから、
運指の最適化やチャンク化をアドリブでこなすqwertyの使い手に、
負けるのではないだろうか?


なるほど、
コピー打鍵競技においては、
打鍵組み立てに脳を100%使うqwertyが、
打鍵組み立てに脳を0%使う新配列を、
凌駕するわけだ。

勝てるわけがないのは、
なんとなくわかってきたぞ。

脳の使い方が全然違うんだから。


もちろん、全然違うということは、
なんとなくわかっていたが、
それを言語化してる例はなかったのではないか?

僕は、内容を考えたい。
どこまでひらがなで打って一括変換かければ、
漢字が正しく表示されるかを、考えていない。



コピータイピング競技が、
もともと秘書の清書タイプライターからはじまり、
その後電信タイプライターになり、
記者たちにもっとも使われたことと、
関係ある気がする。
記者たちは正確に写すことを求められているわけだから。

僕ら創作畑の人らは、
正確性よりもおもしろさを尊ぶからな。
間違ってても受けたほうが良いし、
間違うコミュニケーションを使うこともある。

記者たちは逆に、面白さを求められてない。
主観を入れてはいけないし、自分の意見を書いてはいけない。



薙刀式に「物語を書くための配列」と、
冠をつけておいてよかった。
「記者のための配列」ではないのだ。

記者はコピー打鍵モデルを極めればいいのかも知れないが、
創作には別のモデルが必要なのだな。
posted by おおおかとしひこ at 11:59| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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