そんなの分かったら話が早いのだが、
わからないのでずっと書いている。
また、わかったとしても、それが書けるとも限らないのもある。
今回は、
始めがおもしろくて、
中程もおもしろくて、
終わりのほうもおもしろいのが、
面白いストーリーだ、という切り口で切ってみる。
つまり、
この補集合が、つまらないストーリーである。
つまらないストーリーというのは、
始めのあたりか、
中程か、
終わりのあたりか、
あるいは2個以上がつまらないのだ。
おもしろいストーリーとは、
この全部がおもしろくなければならない。
そして僕は、
始めのおもしろさと、中程のおもしろさと、
終わりの方のおもしろさは、
質の違うおもしろさが必要と考えている。
たとえば、
始めのおもしろさには、
「これは一体どんな話なんだろう?」
「おもしろそうな事件がはじまった」
のようなものが必要だけど、
終わりの方でこれを出されても、
「だいぶ遅いな」としか思えないよね。
終わりの方のおもしろさとは、
「これは一体どのようにまとまるのか」
「決着はつくのか」
「主人公のラストはどうなるんだろう」
「タイトルは回収されるよね?」
とかなんじゃないだろうか。
もちろんこれは、始めのおもしろさにはないだろう。
ついでに、
中程のおもしろさとは、
「どうやってそれを実現するの?」
「そんな裏があったとは!」
「謎が増えた!」
「みんなに感情移入する」
「泣いた」「笑った」
「ようやく一服できた」
「だいぶ目先を変えてきた」
「ただただたのしい」
などじゃなかろうか。
つまり、作品のどのへんの時間経過かで、
我々の要求するおもしろさは、
どんどん変化していくはずだ。
それは、「ひとつづきのもの」を、
鑑賞しているつもりだからだね。
もしこれが、
「シーンがランダムに出てくる話なので、
個々のシーンをお楽しみください」
と前フリされていれば、
始めの方も終わりの方も関係ないし、
話がまとまらなくてもとくに問題なかろう。
美術館なんて大体そんな感じだね。
我々が書いてるものは、
「2時間でまとまるひとつづきのもの」だ。
2時間で結論が出て、
2時間でひとつの興行になるものである。
ということは、
その一連のパートによって、
要求するべきおもしろさがかわるのだ。
最初にいきなり深い人生訓を出しても、
つまらないだけである。
最初はまずつかんでくれよ、
って思うもの。
変わったことがあって、
そのへんの何かとは違うぞ?
これは腰を据えてみる価値がありそうだ、
と思わせてくれよって思うよね。
こんなふうに、
我々のおもしろさへの要求はどんどん時間経過とともに変化してゆく。
ペースが遅い速いなどもある。
これらに答えてないのがつまらないストーリーであり、
これらにことごとく答えて、
一つも外してないのがおもしろいストーリーである。
つまり、
おもしろいストーリーというのは、
もっとも贅沢な観客が、
一度も文句をいわずに、
満足したものをいう。
僕が沢山映画を見てもっとも贅沢な観客になれ、
というのはそういうことだ。
自分のOKが緩かったら、
他人のNGを通してしまうだろう。
いつでもおもしろくあれ。
毎分おもしろくあれ。
毎分ちがうおもしろさへ変化してゆけ。
そんな極上の120分を書け。
2025年11月24日
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