2025年10月10日

自分が語れる範囲は、自分が工夫してきた範囲

人間の深さと限界について。


父の話をする。
父は釣りが趣味で、
小学校の頃から中学校の頃まで、
時々釣りに連れてってくれた。
でも僕があまり乗らなかったので、
そのうち連れてってくれなくなった。

父は口下手で、あまり自分から釣りの良さを語ることがない。
やり方は聞けば教えてくれるが、
何か工夫を自分で語ることはしなかった。

僕は、父はそんなに釣りが上手じゃなかったのではないか、
と今なら思える。
僕が自作キーボードや脚本を語るようには、
語らなかったからね。
釣りは自分で工夫するもの、
というより、カンで釣ってたのではないか。
基本はフナなので、キャッチアンドリリースだし。

大学の頃母が入院して、
晩飯を車に乗せて連れてってくれた。
うちは商店街も繁華街も近いのだが、
車で15分はかかる、郊外の、いわゆる国道沿いのファミレスにいった。
和食チェーン店の「さと」だった。
「釣りの時はここによく来る。うまいんだ」
と父が自慢げに定食を勧めてくれたが、
僕にはいわゆるファミレスの味だったことを覚えている。

たぶん父は母に内緒でいいところへ連れてってくれたのだろう。
自分で開拓したことは、
たくさん喋りたくなる。
他の定食についても父は喋ってたと思うが、
今は内容を覚えていない。

今ならネットが発達して、
うまい飯屋は探せるかもしれないが、
ネットがなかった頃は、
自分で入って痛い目にあいながら、
探すしかなかった。

父は自分の自慢の店を紹介してくれたつもりだったが、
そこは当時としてはすごかったのかもだが、
所詮は限界だったのだ。

大学の頃、そうして、
父も全能ではなく、人間の一人なんだな、
と思った記憶がある。


その後父は酒をたくさん飲むようになり、
日本酒をやりだしたので、
そのことについては僕も詳しいので、
そのことだけは話すようになった。
でもそのほかはあんまり喋らない。


人間は、自分で開拓したことを、
さも自分が第一発見者であるかのように語りたがる。
そこで研究すればするほど、
自分がそこの第一人者だと自負するようになるまで。

僕もここで偉そうに脚本論を語っているが、
僕が研究したことを開陳してるだけで、
もっと脚本が上手い人から見たら、
「さと」をうまいと自慢する人に見えていることだろう。

自作キーボードやタイピングの記事も、
界隈の第一人者からしたら趣味のレベルに見えているかもしれない。


陰謀論のエコーチェンバーにいる人は、
その殻の中で閉じこもっているように見えるけど、
ぜんぶ「自分で見つけた」と信じてるから、
その内容を自分の研究のように語るのだと思う。

実家の父が陰謀論にハマって、
というのは最近よく聞く。
うちの父はYouTube見ないのでそれにハマらないが、
まあその原理はよくわかるわけだ。


ざっくりいうと自慢なのだろうか?
俺はここまで開拓したぜ、という。
みんな自分の開拓した土地を見せたいのだろうか?

そして、人間なので、
その範囲には限界がある。

そのことも知っておくべきかもしれない。



僕は沢山の脚本論を書いたが、
お釈迦様の掌の範囲でしかないかもしれないね。

開拓者、研究者として万能感。
しかしそこには限界がある人間の感じ。

今そんなキャラクターをつくってて、
昨日「普通の人々」を見て、
その父親とうちの父が重なったので、
ふとこんなことを書いてみた。


父が連れてってくれた「さと」で、
うまいね!と目を輝かせて、
また母に内緒でつれてってよ!と言えば、
息子としてはパーフェクトだったのかもしれないが、
僕は仏頂面をしていたので、
何考えるのかわからない、と思われてたのだろう。
今なら「まあまあうまいな」とでも、
リアクションできるんじゃないか。


万能感と限界と、それを認め合うことは、
ひとつの人間ドラマになるかもしれない。
「さと」で、「友達の作り方がわからない」
と父に相談すれば、彼なりの工夫と彼なりの限界で、
限界のある僕にアドバイスしてくれたと思う。

去年実家に帰った時は、
プリウスを売り払ってランクルを買ってた。
「最後に乗る車やから、釣りにいけるやつにした」
ってほざいてた。
posted by おおおかとしひこ at 09:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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