ラクダエンさん:
> 「書く」=「考える+書き写す」ではない。これを整理したい
脳が言葉をひねり出す→その言葉を手が書き写す
という脳内モデルの人は、
それが正しいのかもしれないが、
僕はそうではない。
僕の脳内には日本語がない。
いや、あるんだけど、
日本語の形をしてないモニャモニャがある。
それを仮に「意味」とする。
意味は、日本語でも英語でも表現できる。
まったく等しい意味にできるかは保証の限りではないし、
僕の英語力は知れてるので、
今のところ日本語が10000倍くらい表現力がある。
一方、
僕の手は、意味から日本語に変換する能力をもっている。
手書きでね。
脳が意味を発生させて、
手が手書きで日本語に変換する。
そして脳がそれをみる。
「うむ、たしかに、日本語で書けばそうだな」と。
書き終えた時点で脳チェックが入るのではなくて、
リアルタイム通信をしている。
だから、書いてる途中に書くことを変えたろ、
とか思ったりする。
手と脳はリアルタイムフィードバックしあっている。
そして、いわゆる「手で考える」がある。
ああでもないこうでもない、と、
手が先行して、
お前の言いたいのは日本語で言えばこういうことだろ?
と言語化を先にしてしまうことがある。
そうそう、日本語で言えばそういう意味を、
僕は思いたかったのだ、と、
まだ思ってない事を今思いついたりする。
脳と手の関係はだから、
意味先行、言語化あとづけ、ではない。
言語化先行、意味がそれに合わせて形を変える、もある。
5:5かはわからない。
7:3のときもあれば、
3:7のときもありそう。
僕が手書きで考えながら書いてる時は、
この幸福な脳と手のラリーがつづく。
ところが、タイピング、
少なくともqwertyローマ字はそうではなかった。
8本指を制御したり、
ローマ字ルールに変換したり(N何回とか)しなければならず、
小指を酷使して、
言葉の切れ目と運指の切れ目がバラバラで、
手と日本語がバラバラになってしまった。
つまり、
脳の意味、手、qwertyの、
みっつのラリーが必要になった。
三体問題みたいに絡み倒して、
効率が悪くなり、
脳から意味が蒸発して、こぼれて流れて消えていった。
手と日本語がバラバラにならなかった人たちは幸いである。
qwertyローマ字に適応できた人々だ。
日本人の3割くらいはそうらしい。
僕は、残り7割側の人間で、
多数派である。
多数派が脱落するものを、日本は標準配列にしている。
(「日本は」の主語はほんとはおかしい。
特定の誰かが決めたわけではなく、
こっくりさんのように複数の人がボールを持った結果、
そっちへ行っただけだ)
そして少なくとも僕は、
手書きで書くことに関しては、
日本人の1割には入る程度の能力はある、少数派だ。
これは低めに見積もったが、自覚としては10万人程度、
1/1000くらいには入ってると思っている。
このギャップを埋めるのに、
書くことと遠いqwertyを極めるか、
書くことに近いメソッドを開発するかの、
二択に迫られて僕は後者を選んだ。
自分の書く能力を変えてまで、
ものを書きたくなかったからだ。
つまり、
僕から見たら、
qwertyローマ字は、書くための道具ではない。
脳と手のラリーができない道具だ。
僕のやり方の「書く」ではない方法で、
書く人もいると思う。
僕と似た書く方法で、
qwertyローマ字に適応した人もいるだろう。
そして、
まったく異なる「書く」方法の人もいるかもだ。
なんなら、
「脳がひねり出した日本語を、
手がコピー打鍵する」
タイプの人もいるだろう。
ただ毎回思うのは、
「みんな自分のやり方が特殊だと思わずに、
みんなが自分と同じだと誤解している」
確率が相当高いことだ。
僕は脳内発声がないから、
多くの人の脳内発声がある書き方とは、
別の書き方をしてるだろうことを、
小学校あたりで知ったので、
ずっと少数派の自覚があるけれど、
そうでない人は、
自分が多数派どころか、全員が同じだと思ってるかもしれない。
あなたはどうやって書いてますか。
日本語はどこからやってくるのですか。
意味はどこからやってくるのですか。
解像度をあげて、みんな書き散らしてくれ。
みんなタイピングやってんだろ。
じゃたっぷり書けるだろ。
僕はまだタイピングじゃあ、
手書きほど上手に日本語を書けない。
キーボードが、ペンより不器用で劣ってる道具だからではないか、
と疑っている。
2025年10月10日
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