あなたはいつ映画を見たくなるのか?
列挙してみてくれ。
落ち込んだとき、暇なとき、
人生がどん詰まりで現実逃避したいとき、
……
などなどを挙げていくとよい。
そして、
「自分にはないが、他の人はこういうとき映画が見たいんだろうなあ」も、
挙げてみるとよい。
10じゃ足りなくなりそうなので、
トータル20でいいか。
デートで失敗したくないとき、
そのあとセックスに持ち込みたいとき、
泣きたいとき、
ホラーが見たいとき、
などなど、いろいろな場面が浮かぶであろう。
〇〇が脱いだとき、もあるね。
それは、根源的な欲求であると思う。
映画は見世物である。
何か高尚なものを得たいから、
ものすごく高級な概念が表現されていて、それを勉強したいから見たいのではない。
「〇〇が見たいから」
「〇〇のようなものが見れると聞いて」
のほうが、よっぽどその映画を見たいと思うことに忠実である。
映画を見たい気持ちは、欲望なのだ。
で、「映画でも観たいなあ」というときって、
どんな時か?
を今漠然と考えている。
あなたの特定の作品は、こういうときに見たいだろう、
という思いがあるかもしれないが、
もっと外に出て、
飯食いたい、マンガ読みたい、
デートしたい、連絡したい、
寝たい、Twitter見たい、などの中のどこかに、
「映画でも見たいなあ」という瞬間がある。
それはどういうときか?
を、自分の中で言語化しておくといいよ。
だって、
そういうときに、あなたの映画がチョイスされるわけだからね。
映画でも見たいなあ、どんなのがあるんだっけ、
ああ、これこれ、こういうのが見たいわ、
と、観客は、スクリーンにやってくるのだ。
もちろん、宣伝が成功していて、
「〇〇の〇〇をぜひ見に行くぞ!」
ってなってればいいけれど、
そうじゃないときは、
映画でも見たいなあ、今やっているので検討するかー、
というので、選ばれるんだよね。
そういう、ふらっとした最初の出会いがない限り、
口コミというのは広まらない。
マーケティングでターゲットした範囲に広まったら、
それでおしまいになってしまう。
それは有限の商売にしかならない。
そうじゃなくて、映画というのは、
無限にマスに届ける娯楽なのだ。
常に、1億人のうち何人かが、
「あー、映画でも見たいなあ」と思っている。
1億人もいれば、
毎秒誰かが思う。
そういうときに、
あなたの映画が目に入ったとして、
選ばれるか?
という話をしている。
あなたは、
ある崇高なテーマに対して、
真摯に向かい合い、
すばらしいテーマに帰着するような、
おもしろい話を書いたのだろう。
でもそれはオリジナリティがあればあるほど、
「あー、映画でも見たいなあ」という感情と、
遠いものなのだ。
あなたの書いたものは中身である。
だが、
人は、映画でも見たいなあと思うとき、
ガワで決めるんだよ。
「おもしろそう」というのを、
テーマや構造ではなくて、
モチーフやシチュエーションで決めるのだよ。
それをよくよく知っておくことだ。
どんなに名作でも「ホラーは嫌いなので見ない」人はいる。
どんなに傑作や駄作でも「○○が出てるから見ない/見る」はある。
「派手な爆発するやつを見よう」
「恋愛ものは今日はいいや」などは常にある。
自分の好きじゃないネタを扱っているものは、
「映画でも見たいなあ」と思うときには、
決して選ばない。
選ぶとしたら、
「その前評判をすでに聞いていたとき」でしかない。
前評判がないものは選ばれないのだから、
前評判をつくれないあなたは、
ガワで釣るしかないのだ。
もちろん、ガワだけで終始してしまうのはだめだ。
「ガワで入ったんだから、ガワを見せたではないか、
それで何が不満なのだ」
と思うかも知れないが、
観客というのは、
「映画を見に来たんだから、
映画としての満足を見せろよ」
と思うわけ。
ガワで釣られながら、
その実、充実した中身がないと、
ペラペラのものには感動しないんだよね。
それは、あなたが観客であるときも、
そうでしょう?
いつ、どんなときに、
映画を見たくなるの?
あなたの作品は、どんなときに見たくなるの?
それを客観視しておこう。
それをもっと変更したら、
もっと見られるものになる?
誰も見ていない映画は、存在しないのと同じだ。
もっと見られるために、
何か工夫はできないだろうか?
あなたは、観客たちは、
どんなときに映画を見たいんだっけ?
2025年11月25日
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