速度競走に大きく勝てなかったから、というのが直接の理由。
スピードだけならqwertyと僅差までつめたはず。
だが僅差ゆえに、「わざわざ変えなくても」と判断された。
逆に言うと、
終端速度以外のなにかをdvorakはアピールするべきだった。
アメリカ海軍の電信タイプライター配列を、
qwertyからdvorakに変更するべき、
とDvorak博士は売り込んだ。
母子の左右分離のわかりやすさ、
連母音や連子音の左右分離具合など、
パッと見の理解しやすさ、
運用のしやすさがdvorakにはある。
おそらくだが、
習熟速度も優秀なはず。
だけど問題の焦点を「速度」にしたため、
熟練したqwertyタイピストに、
大幅に勝てなかった。
つまりdvorakの導入コストがかかるので、
大きく進歩しないなら、
現状qwertyタイピストを育成してしまったので、
変更しない、
という結論だ。
ああ、コンコルド効果よ。
Dvorak博士は100年の計でdvorak配列を考えたはずだ。
だが海軍は100年後を見たわけではない。
明日の戦争を勝たなければならないのだ。
売り込む相手が間違ってたんだね。
文化方面に売り込めば、
理解する人はあったのではないかなあ。
ただタイピストは、当時でも秘書の仕事であったろう。
秘書の腱鞘炎を救うような寛大な人
(ほんとうに優しい人か、秘書に優しいという評判を得たい人)に、
売り込むべきであったのかもしれない。
単に速度競走するなら、
先行する熟練者のほうが強い。
それを大幅に上回るなら画期的発明すぎるけれど、
人間の適応力はなかなかのもので、
不合理でも熟練すればそれなりの速度になってたのだろう。
おしむらくは、
腱鞘炎を発症するほど、
海軍の通信兵は弱くなかったか、
そんなに文字を打ってないかだ。
つまり、
問題の切実性だろう。
僕ら新配列を使う者は、
なにかしらqwertyに身体を痛めつけられた経験がある人だと思う。
だから、もっといいのはないのか、
と調べ始めたのだ。
それは、物理的に腱鞘炎になることもあるけど、
「思う事をスムーズに書けないこと」
も含むと思う。
僕は両方だったので、
それを解消したくてカタナ式、薙刀式をつくった。
でも、
「楽になるために新配列を使おう」
「思いをスムーズに出すために新配列を使おう」は、
インパクトが弱く、
分かりづらいと思う。
あなたが海軍の偉い人なら、
「それでどれだけの得があるんだ?」と聞くだろう。
結果、数値比較のできる速度勝負になるんだろうな。
「思いを書きやすいこと」とは、
どういうことかについて、
薙刀式はいくつかの回答を出しているが、
それで全部ではない。
別のやり方もあるかもしれない。
つまり、そのへんがぼんやりしてて、
速度競走ほどはっきりわかりやすくないのだ。
dvorakは、目に見える成果を上げられなかったから、
覇権を取れなかった。
ただ、新配列の価値は、
打ちやすさとか思いの形になりやすさみたいな、
ふわっとした部分にあったりする。
そのへんの言語化に失敗したことが、
dvorak博士の失敗なのだろう。
でもそれって難しいよなー。
「薙刀式という新配列があって……」
「へえ。それってどれくらい速いの?」
の会話から続けられないものなー。
「ガチャガチャする運指がいっぱいあるでしょ、
それが滑らかにつながるんだ」
を沢山例示するしかないのかもしれない。
2025年10月14日
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