2025年12月01日

名前をつくると概念が受肉していく

僕はプロットを練るときに、あまり登場人物の名前を決めない。
物語上の役割で決める。


たとえば主人公とか、敵とか、ライバルとか、
上司とか、ヒロインとか、親友とか、彼女とか、元カノとか。
職業でも呼ぶね。医者とか、政治家とか、やくざとか、刑事とか。
とくに何物でもないのは、女1とか、男1とか、
大学生1とかにしておく。
○とか△とかの記号のときもある。

頭の中には名前がまだないが、
こういう概念として存在していて、
それらがストーリーのプロットを動かしていく。
むしろ、プロットがキャラクターを動かしている状態だと思う。

で、それがそろそろ固まり始めて、
キャラクターを深堀していくと、
勝手にキャラクターがしゃべりだす感覚になる。

そのときに名前を与えると、
一気に人格化する、という経験則。


そうすると、
その人が自分でそう思って行動する感覚になってゆく。
なんなら、自分がどうしてそれをしたか、
その人の事情で説明してくれるようになる。
もちろん、事情を僕が作っていなくても、
必要だから作らなければ、と思った瞬間に、
向こうのほうから、実はこういうことがあってさ、
と作ってくれることすらある。

これは高度な自我の分裂だと僕は考えている。
別の人格として分離することに成功した、
という感じかな。

もちろん、これを放置すると多重人格になるので、
ストーリーを書き終えたとき、
その多重人格は統合されて元の俺に戻る。
ただし、書き終えていないときはまだ分裂している。
あらゆる物語作家が、
〇〇は僕の分身、という感覚で語るのは、
大体こういうことだと僕は思っている。

キャラクターを練る、とは、
このように、自我を別の人生に分割できるか、
ということだと僕は思っている。


で。
最近構想している話で、
ライバルがそろそろキャラが立ってきたので、
中二病的な名前が欲しいな、
と思って色々考えていたら、
狂天寺弥勒などという狂った名前が出てきたので、
これはよいと採用。
そうすると、そいつがいい感じに狂ったキャラクターになってきた。
まだ勝手に動くまでいかないが、
だいぶ意外なことをいきなり言うキャラになってきて、充実しつつある。

主人公の名前は平凡の極みということで田中広にしてあるので、
対比がうまくいきそうだ。
で、これだけじゃなくて、
ヒロインの名前を神林ユキエにしたら、
神林ユキエっぽい立ち居振る舞いをし始めるようになってきた。
概念としてのヒロインから、もっと具体的になってきている。

一般的な、たとえば刑事や医者や運転手の役だとしても、
小林、立川、後藤など、
名前を与えてあげると、急にいろいろな事情を抱えた人になるよね。


キャラクターの名前が先にあっても、
仏作って魂入れずになると思う。
まず役割や人生のアークが決まって、
単なる「主人公」や「ライバル」というストーリー上の役割から、
一人の個人になるときに、
命名が決め手になるような気がする。

また、ある程度はできていても、
面白い突破のアイデアが出ない場合、
キャラクターに仮の名前を与えると、
勝手に動き出すことがある。
そいつならではの突破法を考え出すことになるからだ。

そいつはなぜそれをやるのか。
そいつが人生で初めてそれに触れることになる。
どういう反応をするのか、どういう考え方をするのか。
なんで自分がこれをやるか、どう他人に説明するのか。
そういう具体的な重みが、
名前を与えると、つくれることがある。
名前はある程度背景や人生を背負うからだろう。
狂天寺なんて名前、大体ろくな人生送ってきていないだろうし。


もちろん、それをつけたあとに、
別の役割や性格にしたいときに、
名前を変えるというテクニックもある。
花山薫にしてしまえば、全然変わるだろう。
(いや、バキを読んでいる人には、まったく同じやないかい、
というネタです)
posted by おおおかとしひこ at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック