2025年12月02日

贅沢をしたいとき

映画を見たいときにどういう瞬間があるだろう?
ということの一つに、
これはあるよなあと。


贅沢をしたい。
見る贅沢だ。
金がかかっているものを見る贅沢だ。
数億円かかる衣装でもいい。
ものすごい数のエキストラでもいい。
巨大なセットでもいい。
おそろしく手間のかかるコマドリでもいい。
炎で全部燃えている何かでもいい。

無駄なことを徹底的にしている、
というのは贅沢である。
豪華料理をつくって、一個しか食べず全部捨てるのも、
ある種の贅沢だ。

ドリフの家が毎回崩壊するのは、ほんとうに楽しかった。
贅沢だからだと思う。

バブルまでのテレビは、
その贅沢を楽しんでいた。
金がどんだけかけられるか、
どんだけ無駄な何かを見せられるか、を楽しませていた。
リーマンショック以降不況になり、
失われた何十年かが過ぎ、
いかに金を節約するか、が映像に如実に出ている。

しかし不況と関係ない国の映画は元気である。
無駄な贅沢を見せることが、
娯楽だとわかっていて、それをつくっているからだ。

宮廷を舞台にした舞踏会の映画は見たいよね。
とても無駄な金を使った贅沢だからだ。
F1のレース映画は見たいよね。
燃料がどんどん消えていくレースは、エネルギーの無駄の極致だ。
巨大なナパーム爆破は見たいよね。
何もかも粉々になる瞬間は、やはり贅沢だ。
ふんだんなCGを贅沢に使えば、
見たことのない世界を作れる。


日本映画が、贅沢をしなくなって、
どんどん縮こまっていっている。
日本が贅沢をしなくなったからでもある。
なるべく予算をかけない、
なるべく映画として成立するやつを、
考えている。
まるで小さくなるカントリーマアムだ。
カントリーマアムは最初贅沢なお菓子の代表だったのにね。

テレビ「トリビアの泉」の名作で、
「タイヤをスキーのジャンプ台から飛ばせる」というやつがある。
車のタイヤまではよかったが、
エスカレートしてトラックのタイヤとかまで飛ばせる。
まじで凶器で、いろいろなものをぶっ壊していくのが相当面白い。
これは予算をかけた贅沢だ。

これに、
アイデアだけで勝負しようというのが間違いだ。
人は贅沢を求めているのだ。
「こんなことで地球環境を破壊するとはけしからん」
というのは名目でしかなくて、
ほんとうは、
「こんな地球環境破壊を見てみたかった」くらいに考えているはずだ。
だってマッドマックスで、
トレーラーから炎が噴き出しているのは見たいよね。
そういうことだ。

観客は、質素でつまらない日常に飽きたとき、
めくるめく贅沢をしたくなる。
それが高級レストランでも、
推しの舞台に通うでも、
高級クラブに通うでも、
なんでもいい。
そのひとつに、見たこともない贅沢を見せる、
という娯楽があるということだ。

インド映画を、「見る極楽」とキャッチコピーを付けた人は、
映画の見世物としての本質をよくわかっている人だと思う。


あー、ひまだなー、
映画でも見たいなー、
どうせ見るなら、壮大な無駄をしている贅沢をするかー、
現実で贅沢できないから、
せめて映画館という贅沢をするかー、
そういう気持ちがある。

だからいつも東宝シネマは贅沢なつくりをして、
オペラハウスのように迎え出てくれる。

そこでかかる映画は、
貧乏につまされる話であるべきではないだろう。
東宝の母体は宝塚だ。
その思想だと思う。


もちろん、東宝だけが映画ではない。
でも見世物の本質って、
金を払ってなにかしらの贅沢をすることだよね?
庶民の贅沢だよね?
posted by おおおかとしひこ at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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