映画を見たいときにどういう瞬間があるだろう?
ということの一つに、
これはあるよなあと。
贅沢をしたい。
見る贅沢だ。
金がかかっているものを見る贅沢だ。
数億円かかる衣装でもいい。
ものすごい数のエキストラでもいい。
巨大なセットでもいい。
おそろしく手間のかかるコマドリでもいい。
炎で全部燃えている何かでもいい。
無駄なことを徹底的にしている、
というのは贅沢である。
豪華料理をつくって、一個しか食べず全部捨てるのも、
ある種の贅沢だ。
ドリフの家が毎回崩壊するのは、ほんとうに楽しかった。
贅沢だからだと思う。
バブルまでのテレビは、
その贅沢を楽しんでいた。
金がどんだけかけられるか、
どんだけ無駄な何かを見せられるか、を楽しませていた。
リーマンショック以降不況になり、
失われた何十年かが過ぎ、
いかに金を節約するか、が映像に如実に出ている。
しかし不況と関係ない国の映画は元気である。
無駄な贅沢を見せることが、
娯楽だとわかっていて、それをつくっているからだ。
宮廷を舞台にした舞踏会の映画は見たいよね。
とても無駄な金を使った贅沢だからだ。
F1のレース映画は見たいよね。
燃料がどんどん消えていくレースは、エネルギーの無駄の極致だ。
巨大なナパーム爆破は見たいよね。
何もかも粉々になる瞬間は、やはり贅沢だ。
ふんだんなCGを贅沢に使えば、
見たことのない世界を作れる。
日本映画が、贅沢をしなくなって、
どんどん縮こまっていっている。
日本が贅沢をしなくなったからでもある。
なるべく予算をかけない、
なるべく映画として成立するやつを、
考えている。
まるで小さくなるカントリーマアムだ。
カントリーマアムは最初贅沢なお菓子の代表だったのにね。
テレビ「トリビアの泉」の名作で、
「タイヤをスキーのジャンプ台から飛ばせる」というやつがある。
車のタイヤまではよかったが、
エスカレートしてトラックのタイヤとかまで飛ばせる。
まじで凶器で、いろいろなものをぶっ壊していくのが相当面白い。
これは予算をかけた贅沢だ。
これに、
アイデアだけで勝負しようというのが間違いだ。
人は贅沢を求めているのだ。
「こんなことで地球環境を破壊するとはけしからん」
というのは名目でしかなくて、
ほんとうは、
「こんな地球環境破壊を見てみたかった」くらいに考えているはずだ。
だってマッドマックスで、
トレーラーから炎が噴き出しているのは見たいよね。
そういうことだ。
観客は、質素でつまらない日常に飽きたとき、
めくるめく贅沢をしたくなる。
それが高級レストランでも、
推しの舞台に通うでも、
高級クラブに通うでも、
なんでもいい。
そのひとつに、見たこともない贅沢を見せる、
という娯楽があるということだ。
インド映画を、「見る極楽」とキャッチコピーを付けた人は、
映画の見世物としての本質をよくわかっている人だと思う。
あー、ひまだなー、
映画でも見たいなー、
どうせ見るなら、壮大な無駄をしている贅沢をするかー、
現実で贅沢できないから、
せめて映画館という贅沢をするかー、
そういう気持ちがある。
だからいつも東宝シネマは贅沢なつくりをして、
オペラハウスのように迎え出てくれる。
そこでかかる映画は、
貧乏につまされる話であるべきではないだろう。
東宝の母体は宝塚だ。
その思想だと思う。
もちろん、東宝だけが映画ではない。
でも見世物の本質って、
金を払ってなにかしらの贅沢をすることだよね?
庶民の贅沢だよね?
2025年12月02日
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