2025年12月11日

プロットは必ず一気書きしよう

今考えているやつのプロットを、
3時間ノンストップで一気書きしてみた。
わかることがたくさんある。


まず一番大きな効用は、
「それが一体何なのか、全体が見えること」だ。

結末まで一気に書いてみると、
「最初から最後までつながっている、
ひとつの意識」として見れるので、
テーマ性や全体としての塊で見れるようになる。

「部分部分のアイデアは面白かったが、
全体として見るとまとまりに欠ける」とか、
「何が言いたかったんだ?」
という、僕らがしょうもない映画を見たときの感想になるんだよね。

何が足りないのだろう、パンチが欲しい。
やはり心に刻まれる、深いテーマだろう、
ということに自分で気づくために、
プロットを一気書きすることは大変おすすめだ。


なんで主人公はこうなっているんだっけ?
主人公は何を求めていたんだっけ?
それは実現したんだっけ?
そこを深掘りできないんだっけ?
反対する価値はなんなんだっけ?
誰が反対者なんだっけ?
それをどうやって凌駕するんだっけ?

という、基本的な主骨格が、
一気書きすることで浮かび上がりやすいんだよね。


二つ目の効用は、
「アイデアとしては思いついているが、
とりあえずここでは書く必要があるべきことかどうかわからないものを、
()にくくっておいておけること」
かな。
特に序盤で、〇〇という登場人物を出しておいたほうが伏線になるか、
などを検討するとき用に、置いておくとよい。


三つ目の効用は、
とくに中盤、大体の展開がわかっているのだが、
間のつなぎができていないことに気づくことだ。

そこをとりあえずアドリブでよいので、つなぎ、
最後まで書くことをおすすめする。
あとで戻ってきて、
そこはもっと上手に書けるようになるとよい。


四つ目の効用は、
ビジュアル的に派手な絵はどこにあるか、
検討できることだ。

今回書いたやつは、
メインの二人の出会い方は決まってたんだけど、
その後居酒屋で飲んで仲良くなる、
というアイデアが地味な場面だなー、と考えてて、
銭湯で背中を流しあう、
そのときに背中の紋々がアップになる、
というアイデアを思いついた。
(地元のやくざなので銭湯に入れるのだ)

居酒屋で飲むだけよりも、
とても派手な、いい場面になった。
背中いっぱいの入れ墨も出せるし、
それを伏線にもできたので。

ともすると、座って話すだけになってしまう。
あと、また居酒屋で話すだけの予定のシーンが、
今度は剣道場でやることになった。
こうして、同じことを話すでも、
〇〇をしながら話すように改変すると、
派手な場所でやることができるようになる。

そうして、絵的に派手なのと、地味なのを、
使い分けられるようになるね。


五つ目は、
ストーリーをうまく圧縮するようになることかな。

たとえば会社を辞めようするシーンがあるんだけど、
もともとの構想では色々悩んで、
徐々に弱っていって、ついにやめる、
みたいなイメージだったんだけど、
大きな事故を起こした次のシーンで、
辞表を上司のところに持ってくる、
というシーンへ割愛することができた。

ここでだらだらやっているよりも、
辞表から話を始めたほうが、話が早いと思ったからだ。

こうして、
話がたるくなる場所を、さっさと巻きを入れることが、
可能になる。

それは、全体が見えているからだろう。
一気書きする、という前提で書かないと、
そのスピード感がわからないからね。

東京から大阪に新幹線で行くことを考えたとき、
新横浜から富士山はこれくらいだ、
という風に見積もれるようになるわけだ。
(静岡が長いよな)
名古屋から京都がこれくらいの時間になるし、
京都から大阪は一瞬だ。
全体がわかっていると、
そういう部分の長さの感覚がわかるようになるわけ。

一幕を書いた時点で、これが30分くらいかー、
と尺の感覚がわかるので、
なんとなく、ここで45分、60分、75分、90分と、
あたりを付けられるようになる。
あとは105分、120分、となんとなくわかる。

こういう感じで、
全体と部分のバランスの感覚が、
つかみやすいと思う。

リアルタイムで書いているわけだから、
30分までを書くのにこれくらいかかっているわけなので、
これくらい書けば60分ぶん書いたことになるな、
となんとなく時間感覚でわかる。
それも大きいかな。

等速で書いていることが前提だけど。

つまり、そんなに詰まらないほどに、
プロットのパーツはできていないといけない。

そういう意味では、
「あ、これでプロットを一気書きできるな」
という所までできたときに、
ようやくこれをできることになるね。

今回は、銭湯のシーンを思いついたから、
「やれそう」と思ったんだよね。


ということで、
プロットを一気書きしてみるのは大変おすすめだ。
文字の感覚ではなくて、
時間の感覚としてストーリーが体に入ってくるからだ。

これで車幅感覚がわかるので、
ここは切ってもいいいか、ここはもう少しじっくり、
などという印象が残ることになる。

プロットは何回書いてもいいよ。
ただし、
つぎはぎはどんどんこの感覚が鈍っていくので、
最終プロットは、
つねに一気書きしておこう。


歌でいうと、つぎはぎして編集するよりも、
頭から尻まで一気に歌うほうがいいじゃない?
大変だけど。

その気持ちよさが、そのストーリーの気持ちよさになるよ。
気持ちよくないなら、
そのストーリーはもともと気持ちよいものではなくて、
駄作の可能性があるわけだ。

プロットは完全にそのストーリーのひな型だ。
何が起こり、なぜ、何をどう行動したのか、
などを確実に抑えなくてはならない。
すべてのことに説明がつき、
説明なしでもかなりわかるようにして
(100%でないものは説明場面がいる)、
全体で見たときに、
読後感がよく、
テーマがはっきりと見えるようになっているべきだ。

それはおそらく、
出来上がった映画を見たときの、
読後感に一番近いはずだ。


もちろん、部分的なプロットを書くことは、
構想時にとてもよい。
しかし、いつかまとめて一気書きするための、
ただの準備段階だと思うべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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