2025年11月09日

【薙刀式】「いいものが普及する」わけではない

普及したものがいいもの、でもない。
だめなものが普及する、でもない。

今日の天キーにはたくさんのいいものがあったんだけど、
それが「よいから普及する」とも限らないなー、
などと眺めていた。


薙刀式はよいものだ、と思ってつくったし、
触った人はおおむねよいものだ、
と思ってくれていると思う。

しかし、それと普及とはまた別のフェーズだ。

qwertyが普及したのは、
メーカーの大量生産があったからね。
とくに日本人は横並びが好きだから、
みんながもってる、がないと普及には至らない。

自作キーボードたちは、
そんな最大公約数を狙うのではなく、
そこになかったものを作るジャンルだ。
みんなが欲しいかはわからないが、
ごく少数欲しい人がいるのは確実、
というとてもニッチな世界である。

その、ある程度の最大公約数的なものが、
Cornixに込められて、それが動き始めている。

でもあれにハマらない人もたくさんいるのが、
自作キーボードの奇妙でおもしろいところだ。

ニッチな、という一言で片付けられるには、
あまりにも熱量が高くておもしろいので、
今日も沢山刺激をもらいつつ、
薙刀式はいいものだけど、
普及とはまた違うんだろうなー、などと冷静になる。


もし「いいものが普及する」のなら、
qwertyが普及しているわけではないからね。
日本でqwertyが支配的になってるのは、
「日本語と英語で2つ配列を覚えなくてよい」
という1点で、
「そういうものだと思っていたから」
という思い込みにすぎない。

これはいいものだ、と理解すれば、
少しずつ普及はするけれど、
それでもある一定の一角を占めるだけで、
ブームという程にはならないだろうな。

戦後の野原に、
ナショナルは電池をもたらした。
必要なものは売れると踏んだからだ。
そんなふうな、必需品には、
キーボードも配列もなってはいない。
だから爆発的普及にはならない。

でも潜在的には現行キーボードへの不満があるとは思うので、
潜在的には戦後の野原のような渇望はあるのかもだけど。
ただその答えは一通りではなさそうなんよなー。


まあ、それでも、
これはあったほうがいい、
と良いものだと認めてくれる人はいる。
その上限までには届くといいな。

今日話した肌感だと、
qwertyに疑問を持ったことのない人の方が多かった。
そういうものだと思って適応した、
という人が多かった。
だから小指でAとかいわれても、ピンときてなかった。
そんな状態の認識に、
「薙刀式は代表的な言葉を片手アルペジオでね……」
という説明は届かないだろう。

それでも、触った人は、「ほほう」と感心しているんだよね。

その感心が、
そのうちqwertyへの疑問に育ってくれると、
おもしろいことになるかもしれない。


posted by おおおかとしひこ at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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