普及したものがいいもの、でもない。
だめなものが普及する、でもない。
今日の天キーにはたくさんのいいものがあったんだけど、
それが「よいから普及する」とも限らないなー、
などと眺めていた。
薙刀式はよいものだ、と思ってつくったし、
触った人はおおむねよいものだ、
と思ってくれていると思う。
しかし、それと普及とはまた別のフェーズだ。
qwertyが普及したのは、
メーカーの大量生産があったからね。
とくに日本人は横並びが好きだから、
みんながもってる、がないと普及には至らない。
自作キーボードたちは、
そんな最大公約数を狙うのではなく、
そこになかったものを作るジャンルだ。
みんなが欲しいかはわからないが、
ごく少数欲しい人がいるのは確実、
というとてもニッチな世界である。
その、ある程度の最大公約数的なものが、
Cornixに込められて、それが動き始めている。
でもあれにハマらない人もたくさんいるのが、
自作キーボードの奇妙でおもしろいところだ。
ニッチな、という一言で片付けられるには、
あまりにも熱量が高くておもしろいので、
今日も沢山刺激をもらいつつ、
薙刀式はいいものだけど、
普及とはまた違うんだろうなー、などと冷静になる。
もし「いいものが普及する」のなら、
qwertyが普及しているわけではないからね。
日本でqwertyが支配的になってるのは、
「日本語と英語で2つ配列を覚えなくてよい」
という1点で、
「そういうものだと思っていたから」
という思い込みにすぎない。
これはいいものだ、と理解すれば、
少しずつ普及はするけれど、
それでもある一定の一角を占めるだけで、
ブームという程にはならないだろうな。
戦後の野原に、
ナショナルは電池をもたらした。
必要なものは売れると踏んだからだ。
そんなふうな、必需品には、
キーボードも配列もなってはいない。
だから爆発的普及にはならない。
でも潜在的には現行キーボードへの不満があるとは思うので、
潜在的には戦後の野原のような渇望はあるのかもだけど。
ただその答えは一通りではなさそうなんよなー。
まあ、それでも、
これはあったほうがいい、
と良いものだと認めてくれる人はいる。
その上限までには届くといいな。
今日話した肌感だと、
qwertyに疑問を持ったことのない人の方が多かった。
そういうものだと思って適応した、
という人が多かった。
だから小指でAとかいわれても、ピンときてなかった。
そんな状態の認識に、
「薙刀式は代表的な言葉を片手アルペジオでね……」
という説明は届かないだろう。
それでも、触った人は、「ほほう」と感心しているんだよね。
その感心が、
そのうちqwertyへの疑問に育ってくれると、
おもしろいことになるかもしれない。
2025年11月09日
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