田舎の改造車でよくある、
ウィングパーツとかエアロパーツとかがくっついているやつ。
ゴテゴテしてかっこ悪いよね。
あなたの脚本もそうなっていない?
ノーマル状態で勝負するほど、うまくいっていないからだろうと思う。
そのノーマルの剛性や空力で勝負すればいいものを、
少しでもよくしようとして、逆にダメにしている、
ということがまれによくある、
ということを理解するとよい。
先日書いた「最終章を先に描け!」は、
13稿まで直したのだが、
13稿目で、
かつて韮澤が担当していた若い漫画家高橋というキャラクターを新しくつくり、
3シーンほど登場させたのだが、
それがウィングパーツみたいになってて、
本来のノーマルの良さを伝えきれていないなあ、
と思ったので、
14稿でカットした。
それがあることで、
本来の力強い魅力を、かえって削ぐことがある。
ややこしい目くらましになり、
地金のよさまでたどりつかせていないことがある。
ゴテゴテしているのだけが最高なわけではない。
削ぎ落して、ようやく輝く魅力だってある。
強い話はシンプルでもおもしろい。
その自信がない人、
それが伝わり切るか心配な人は、
ついつい下手な化粧をしてしまうのだろう。
鏡を見れればいいのだが、
そもそもその鏡を見る基準が狂っていては、
正しい判断などできるわけがない。
わかっちゃいるけど、
その罠にはまっているどうかを自覚することは、
とても難しいと思う。
しばらく離れないと、
それを自覚できないよね。
アレはウィングパーツとか、エアロパーツにすぎないぞと。
ペラペラだから、外せるし、外したほうがいいな、
と思えるまで、
冷静になることだ。
批判や疑心暗鬼にとらわれると、
何が本体で何がエアロパーツなのか、
区別がつかなくなることが多い。
そういう時にお勧めなのは、
新作を書くことである。
僕は次の作品を書きはじめていて、
ああ、あれは余計だったな、と自覚したので、
14稿目を書くことにした。
脚本はよりよくなるよ。
ちゃんと正しく冷静で見ることができればね。
それは本体の本質的な部分か?
それはあとづけの追加エアロパーツなのか?
そもそも、その話の本質ってなんなんだろう?
それがぶれているとき、
ウィングパーツなのに気づかないということが、
まれによくあると思う。
追加のウィングパーツとかエアロパーツの何が問題か?
「こすい」ことだと思う。
ちょっとした追加や修正で、よくなったような気がしている、
その考え方がこすいと思う。
そのこすさは、なんか伝わるんだよ。
これいらないのに、って思いがわかるのさ。
2025年11月12日
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