2025年11月13日

何をしてるかより、誰がしてるか

先日YouTuberとしての大西さんと雑談してたときに、
こんな話になった。
「あ、○○が出てる、見よう」のほうが、
「あ、○○をやってる、見よう」より強いよね、
という話。


バラエティの衰退はこれが原因であろう。

かつてのトリビアの泉あたりに連なる、
フジテレビの深夜バラエティ
(カノッサの屈辱あたりからの系譜ね)は、
「何をして遊ぶか」という、
企画性が中心であった。

深夜帯だから、
お金を払ってすごい芸能人を呼ぶ余裕がないため、
企画性で勝負するしかない、
といった事情もあったろう。

だけどそれがゴールデンに移ると、
豪華芸能人が出るため、
企画性が薄くても視聴率が取れるので、
「ひな壇に芸能人集めて、
なんか話題を与えてキャッキャやらせればよい」
という、
いわば企画性の怠慢になっていった。

ロケとかしないでいいし、
使いまわしのワンセットだけでいいので、
予算を食わないのも大きいね。

で、話のうまい芸人が回せればいいので、
芸人たちが活躍することになる。

あとは、キャッキャやる程度のネタをくれ、
ということになる。


企画性があれば、
芸能人が出なくても、
いろんな人を巻き込むことができる。
だけど、人気芸能人が出るものでは、
その人の人気におぶさることになるため、
その人が出ない時は見られないし、
その人が不祥事を起こせば封印だ。

客寄せパンダと割り切れればいいのだが、
企画がパンダになってしまったら、
パンダが死ねばおわりなのだ。

こうして、今のテレビはパンダにおんぶにだっこなので、
パンダがとても「偉く」なってしまった。
ご機嫌をとって、へーこらしたせいで、
増長を招くことになった。
中居事件での、フジテレビの対応を見ればわかる。
たかが出演者にそこまで媚びることはないのに、
対等ではなく、
あきらかに向こうが上になってしまっている。

テレビが「上」だったのは、
唯一の電波メディアだったからだろう。
ネットがではじめて、YouTubeがあるし、
芸能人のYouTubeチャンネルもあるから、
唯一性がないので、
パンダのほうが偉くなってしまった。

ただ、パンダは十分に見れないから希少性がある。
だから芸能人は手の内をさらさないことを商売にする。
滅多に会えないから意味がある。
なので、芸能人YouTubeチャンネルは難しいよね。
底まで見えちゃったら神話性が崩れちゃう。
本田翼のゲーム実況で顔出ししないのはうまい作戦だった。
(最近やってないそうだが)

手の内全部さらしたうえで、
面白い事をつくる芸人のほうがおもしろくなると思う。
「○○にチャレンジしてみました」系は、
すぐに飽きられる。
ただ、飽きられるまでは、
それなりに再生されるとは思う。

パンダは飽きられる。
次のパンダが出てきたらみんなそっちへいく。
飽きられたパンダは捨てられるのみだ。

ということは、
「今のパンダ」と、「企画性」が、
両輪になるのが真のテレビのはずなのだ。

だけどテレビから企画性を締め出したので、
「どうやったらおもしろいことができるか」
という企画のコツや伝承が、
途切れてしまったのが今ではないだろうか?

制作を予算がないから外プロに出したせいで、
自分たちからノウハウが失われてしまったのだろう。
コンテンツ管理(契約関係)だけやって、
コンテンツを自分でつくるのをやめた会社は、
たくさんあると思う。

僕はそれを「上がり」と言っていたプロデューサーを知っている。
「上流に行くべき」とも言っていた。
あなたの人生はものづくりの泥の中で七転八倒するのではなく、
七転八倒する人たちを鵜として、
鵜飼になることが目標なのかと、
泥の中で一生もがきたい僕は、
がっかりしたことを覚えている。



つまり、
みんなパンダにはなれるし、
パンダを連れてくることはできるのだけど、
企画が足りない、
というのが現在地ではなかろうか。

テレビの黎明期は、「芸」があった。
歌や踊りである。
これができる人が偉いし、見世物になった。
いまや芸を磨くよりも、
かわいければ、イケメンならパンダになれるので、
芸は地方にしか残ってないんじゃないか。
その芸で一生食える保証もないし。


というわけで企画(=あたらしい遊び)が足りない。

だけど、企画を作ることや、
その企画に従ってすべてをきれいに整えることは、
とても労力がいる。
YouTubeの再生回数には見合ってない。

で、パンダがキャッキャやってるほうが、
再生が回るので、
低きに流れていく人が増えていくのだろう。


大西さんのYouTube「好き語り」は、
知的カロリーがとても高いので、
企画して編集するのは大変な労力が必要だと思う。
裏方に回れば多少楽になるはずだが、
客寄せパンダとしての大西拓磨が出ないと意味がないので、
司会をせざるを得ないのかもしれない。

司会を別に入れた方が、
現場の進行はしやすいのかもしれないが、
その進行台本を事前に書き、
進行打ち合わせをしてすりあわせないといけないから、
そっちのほうが事前準備に手間がかかるだろう。

つまり、1人企画、1人司会、1人編集でやるには、
カロリーが高すぎる事をやってるんだよな。
それでいてデザイナーだから、
画面の美しさにはある程度凝りたいだろうから、
そのひと手間もかかってしまうので、
僕なら1本50〜100万円で専業くらいじゃないとやらないくらいの労力。

そしてそのコストに対して、
再生回数がついてきてないのだ。

かつてのテレビであれば、
企画、ディレクター、カメラマン、編集、ミキサー、
タイトルデザイナー、音効、そして宣伝、
スポンサーとの渉外は、
全部別の人がやっていた。
だから回せたし、再生回数が(唯一の電波だったので)、
とても回ったのだ。

この回転を1人でやるのがYouTuberというおしごとだ。
(複数メンバーでやる手もある。
芸能人チャンネルは、
バラエティスタッフの局外流出みたいなことだ)

今のところ大西さんの超人的能力でなんとかなってるが、
体力が目減りする30代でどうなるのかはわからない。
それまでやらずに飽きて別の事をするとは思うけど。

本人としては安定した生活基盤があったほうが、
やりたいことができるだろうから、
YouTuberやおさかなキーボードはひとつの手段なのだろう。
たいへんだなーこの時代のフリーランスって。


CMスタッフは、
今仕事がない人と、ある人に明らかにわかれている。

ない人は無能な人と、有能過ぎる人(ギャラが高い)。
ある人は、しょうもないものをそこそこのクオリティでできて、
安い人。
CMを見ればわかる。時代を作る広告なんてなくて、
少しだけ生き延びようとしたものばかりだ。
それは、ネットの無法地帯のハングリーにおもしろいことをやろうとしてるのに、
空気感だけで負けている。
スタークリエイターはもう必要とされていない。
スターが活躍するだけの地盤(予算)がもうない。
スターが自分の美学を貫けるだけの予算もスケジュールもない。

もともとパはあるのにコスがないから、
コスパを出すには全体のパを下げるしかない。
コンビニのお菓子とおなじだ。



で。


僕らは企画を考えて、実行する側である。

「誰がやってもおもしろいもの」を考えるのが、
企画というものである。

演者がそれを増幅することはあっても、
だめな演者がやったとしても、
おもしろいことを考えるのが理想だ。

あー、こんなおもしろいことがあるんだから、
あとはパンダを連れてくれば跳ねるな、
と判断するのがプロデューサーというものであったが、
そのプロデューサーたちが、
パンダに媚びる人たちばかりになったので、
企画を引き上げて磨き上げることをしなくなったのが、
現状である。


とはいえ、
話が分かり、色々な人たちを組み合わせて、
より跳ねるようにできる(本来の)プロデューサーは、
どこかにいるはずだ。

絵描きに対しての画廊、
芸人に対しての支配人、
ものかきに対しての編集者だ。

それを探すしかないのだろう。
今の映像で成功してる分野には、
そうしたプロデューサーがいるはずだ。

ただし、企画性は水物だったりする、
というのが難しいところ。
当たるか当たらないかわからないものだけを作ることはできないので、
強固な地盤で金を稼ぎ、
ギャンブルを常に続ける、
というプロデューサーが、今の時代のあり方だろう。

その1人プロデューサーまで、
YouTuberはやらないといけないのだとしたら、
結構しんどいよな。


ディレクターは考える人、
プロデューサーは実現する人、
なんて言い方をよくする。
ディレクターは才能で、
プロデューサーは人脈ともいわれる。
ディレクターは他と違うことが財産だけど、
プロデューサーは人と交わって誰にも好かれることが財産だ。
基本的には異なる人種だからね。

ということで、
絵描きは画廊と出会わなければならない。



それがおもしろいんですよ、
と、うまく内容を広告することが必要だ。

それがタイトルであり、
最初の前口上(最初の三行)やログラインなんだよな。

「誰がやってるか」の情報と同じくらいの速度で、
「何をやってるか」が伝わらなければ、
パンダに負けるのだ。

糸井重里が褒めていた新聞広告のコピー、
「素股3P」ぐらい速く伝わる企画性を、
常に考えることだ。

「誰」よりも速い「何」が、
僕らの主戦場だと常に意識しよう。

それはもちろん映画で2時間かけてやることなんだけど、
入口は「誰」より速くなるべきということなんだよね。



個人的な感想だけど、
「好き語り」は、簡単そうなタイトルのわりに、
知的レベルが高すぎると思う。
特撮回くらいの内容ならいいけれど、
もっと知的なタイトルにしたほうが伝わりそう。
俺が出て好きな映画を語るだけだと、
映画とは何かみたいな知的興奮にたどりつけなさそうだものw
(ただの酒の席じゃん)

「好き語り〜大西拓磨の知らない世界をプレゼンする」
みたいな副題をつければいいような気がする。

「誰が言ったか知らないが、確かにそう聞こえる、
空耳アワーの時間がやってまいりました」
のように前口上を毎回言えばいいのだ。
「大西拓磨の知らない世界をプレゼンしてくれる、好き語りの時間です。
今回は『○○』の世界!○○世界チャンピオンの○○さんです!」
的にね。

そうするとパンダとしても立つし、
これは新しい世界のプレゼンなんだと構えられるような気がする。
そうすると、パンダより速く伝わるのではないだろうか。



我々はパンダより速く伝えなければならない。
だから、パンダより稼げるはずなのだ。
posted by おおおかとしひこ at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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