ラクダエンさん:
> そして文字色がほぼ行段なの初めて知ったんすけどw
あー、たしかにあんまり気づいてなかったが、
統一感はなくもないな?
母音のほうが支配的だと思われる。
あレッド、いイエロ―かグリーン、
うブルー(軽め)、
えオレンジかグリーン、おブルー(重め)
というのはだいたい通じるか。
子音でそのパレットセットが決まる的な?
音に色が見えるタイプの共感覚者は、
たとえば演奏家や作曲家に多いのだそう。
聞いた話では、音に触覚がある人もいるそうだ。
なるほど、単なる音の高低、長さ、音色を、
そのような色や触覚に置き換えて知覚することは、
全然ありそうな気がする。
ブーバキキ効果が示すように、
音と形はなんとなく関係あるっぽいことが分っている。
そこまで行けば、音と色は関係あるだろ、
的なことはありそうだ。
ゆる言語ラジオによると、
「母音の高さ」というものがあって、
「あ」を基準として、
「う」「お」は重たく低く、
「い」「え」は軽く高い、
というのが全世界的にみられるそうだ。
だからかわいく小さきものは、「い」「え」の、
母音がつくことが多いらしい。
猫、犬などはそうだね。
女子の名前にも、有意に「い」「え」が多いそう。
カミーユが女性の名前だから、
というのにはいまいち納得しなかったんだけど(Ζガンダム)、
イエ音がミしかないからかもなー。
薙刀式では、
明らかに左手、上段方向をイエが占めている。
現状のQね版がしっくり来ているのを含めて、
イエ音を示すとこういう感じ。
【単打】
ねきてし・ ・・・・へ
・け・・・ ・・い・・
・ひ・・・ ・・・・れ
【シフト】
・・りめ・ ・・・え・
せみに・ち ・・・・・
・・・・・ ・・・・・
イ段が拗音の要請というのもあるけど、
そもそも左手でしっくり来ているのは、
左手を、「軽い」ものだと思っている証拠だと思う。
そして上段、中段に集中しているので、
軽いと思っている節がある。
B裏や,裏の下段に「ね」を置いていた時期があるが、
ずっとしっくりこなかった理由は、
これなんじゃないかと考えている。
なので、僕の共感覚としての「色」は、
音の代わりをしている説はなかなか信憑性がある気がしてきた。
とはいえ、脳内で音の代わりに色の洪水になるわけではないので、
やはり脳で音を処理しているわけではなさそう。
あくまでインプット時にそうなるだけなので、
インプット時に音に反応する脳細胞が、
代わりに色の部分で反応しているのかもしれない。
アウトプットでは色も音もしないんだよなー。
なお、漢字にも僕は色が見える。
ただし濁っている色が多いし、再現性がいまいちなので、
発音と関係あるかまではちょっと検証できない。
(ちなみに、発音=ピンクとブルー、
関係=緑とオレンジ、検証=緑と白、
ただし鮮やかではない濁った色)
あと数字はどうなんだろう?
いち に さん し ご ろく なな はち きゅう ぜろ
の音に近い色になっているような、なっていないような。
完全に音と一致していない部分もあるものの、
行段系で色に法則性がかなりあるということは、
ちょっと面白い発見だなあ。
これを自分内調査したときは、
カナ配列をまったく考えていないときだったので、
カナと脳内発声とか、脳内で概念が起こっていることとかを、
まだ良く分かっていないときのものなんだけど、
まあ法則性はかなりあるということだな。
書いたかどうか忘れたけど、
小学校のときに「数字だけで絵を描いてみよう」
なんて課題があって、
どうやら教師は数字の形を使って絵(漫画みたいな)ものを
書かせたかったらしいんだけど、
(たとえば8を横に倒して雲とか、4はヨットみたいな)
僕は数字の色を使って、モザイクタイルみたいな絵を描いた記憶があるんだよね。
色数足りねえなー、って思ってた記憶がある。
教師はさっぱり解読できなかっただろうなあ。
6で空を青に染めて、10で雲にするかー、なんて感じで描いてたな。
同様に、カナでモザイクの絵を描くことはできそう。
(色の共感覚は人によって全然違うため、
僕にとっての色と他人にとっての色は全然違ううことがわかっている)
なので、
たまに僕は文章を、色の集合体として見えていることがあるので、
きたねえ色使いだなー、と言葉を直すことがあるのよね。
それが間違った言葉遣いでも、
色がきれいなほうを使いたいのに、
と高校生のころはよく思っていた。
それが英語とか国語でよくあったなあ。
たとえば「め」はきれいなエメラルドグリーンなので、
これを中心にブルーやグリーンを合わせたいじゃない。
補色で赤やピンクやオレンジを使いたいじゃない。
そんな感じで言葉を選んで、ちがう、ということがよくあったなあ。
意味言語じゃなくて、色言語みたいなことだ。
長じるにつれて、
「ほかの人は色で言葉を書くのではなく、
意味オンリーで言葉を書くのだ」と知って、
そういう風に合わせることにした。
でも自分の作品のときは、
色使いまできちんと気を付けているね。
こういうブログの文章は、意味オンリーでやっているけど。
つまり僕の中で心地よい文章とは、
意味が通り、かつ色がきれいな文章なんだよな。
それが独特の言葉遣いに影響している可能性はあるけど。
僕がそもそもしゃべるのが苦手な理由は、
音じゃ色が見えないからかもしれないね。
音に色が見えるタイプの共感覚者なら、
行けたかもしれない。
こういうの、脳科学者は把握してないだろうな。
それと言語の関係もね。
(有用な研究になるなら、検体になってもいいけどさ)
あ、そうそう、「語感」とか「ひびき」が、
音のことなんだって、
大人になってから知ったなあ。
僕は色で判断してたからな。
だから実は「リズム」も良く分かっていない。
詩がリズムを重視して、というのは良く分かっていない。
そういう韻律のゲームとしか思っていないなあ。
濁音が汚くて、清音がきれい、というのは分かるけど、
そんなくらいだな。
ということで、
言葉に色が見える人は、
人口の1・4%くらいいるらしいので、
音の聞こえる人とは、まったく違う世界を生きている。
しかし、
なんとなく色は音の影響を受けているっぽいな。
こういうの、内観してそれを言語化しない限り、
誰も気づかないよな。
幽霊が見える子供が、
大人になって「誰も見えてないんだ」って気づく感覚よね。
実は僕が言ってないだけで、
他の人には見えていないものが、僕には見えるかもしれない。笑
あ、モスキート音はもう聞こえないです。
2025年11月12日
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