さんごぱんさんがqwertyの「くらべて」が地獄だという記事に対して、
最適化運指について書いている。
https://x.com/CordialBun/status/1989174689722507479?s=20
それはよくわかるのだが、
僕には対症療法にすぎず、
根治療法には見えないので、
僕は最適化運指は否定派だな。
「道具が悪いので、
運用である程度カバーしよう」
というのは現場の知恵で、
悪くない発想なんだけど、
僕は、
「道具が悪いのなら、
その道具が根本的に間違いなので、
もっといい道具を作ればいい」
という派閥だ。
淘汰すればいいじゃん、そんなだめな道具。
もし筆が原始的でだめな道具だったら、
とっくに淘汰されてただろう。
でもペンやデジタルに出せない、
紙に染み込んだタッチの繊細さや豪快さは、
いまだに筆に勝てないから、
筆は淘汰されない。
つまり筆は良い道具だ。
ただ、たとえばこれで小説を書くとか、
論文を書くのにはむいてないから、
その点ではだめな道具であろう。
qwertyローマ字は、
日本語を書くための道具だ。
その基本語彙である「くらべて」が、
パッチを当てないとまともに使えないのは、
よくない道具だ。
そしてそのパッチが1個のみとか、
数個で済むならば、
まあそれで運用していくのが現実的なのだろうが、
そんなものがぼろぼろ出てくる時点で、
「もう最初から設計し直した方がいいのでは?」
と僕は思ってしまうね。
n何回問題とか、FJほとんど使わないとか、
指があちこちに飛ぶとか。
だって文字の位置を変えるだけじゃん。
僕らの手に合わせて合理的な運指にすればいいじゃん。
運指距離は短く、直感的で、
強い指をよく使い、弱い指はあまり使わず、
指がもつれるようなことはなく、
最小労力で長いこと書ける道具のほうが、
いいに決まってるじゃん。
そして誰もが、小学校程度の練習で、
一生楽できる道具の方がいいじゃん。
例外処理がなく、
シンプルに使える道具で、
使ってることを意識しない道具の方が、
いい道具に決まってるじゃん。
筆の唯一の欠点は、
墨につけ直さなきゃいけないことで、
それに目をつぶれば筆は良い道具だ。
だけど、qwertyは何個目をつぶらなきゃならないの?
最適化のたびに目をつぶるのならば、
目つぶって書いてるのと同じだ。
それがブラインドってこと?
というわけで、
例外を許さないシンプルな道具こそが、
他を淘汰すると僕は考える。
プロダクトデザインとは、
とても厳しく作るのだ。
そのような綻があるデザインはよくないデザインだからだ。
ジョブズの厳しさを、qwertyはもう一回見たほうがいい。
スマホのフリックはそのシンプルな良さに該当するし、
大西配列やカタナ式も該当すると僕は思う。
カナ配列においては、
僕は薙刀式がいちばんそれに該当すると思うけど、
異論はあるだろうとも思う。
パッチを当てるのって、なんかこすいのよね。
小賢しい。
もっと太く大きな賢さで、
人は生きるべきではないだろうか。
単純に考えても、
いちいち最適化してたら、
その分書く文章のレベル下がりそうだ。
私は最適化を無意識化したので、
こんなに楽につらつらといい文章が書けます!
みんなこうなるべき!
という見本があったら是非動画化していただきたい。
それがみんなできるかに僕は興味があるので。
薙刀式やカタナ式のいいところは、
手に負荷をかけないところ。
その分内容に集中できるところだ。
タイピングは道具だ。
いい道具というのはそれを意識しないで使えることだ。
日本刀は、握りとか振り方とか考えなくても人を殺せるから、
いい道具なのだ。
そもそもの道具観が、
qwertyローマ字を最適化運指でパッチ当てする人と、
僕には、大きな違いがあると思う。
僕はMacを使うべきで、Windowsを使うべきではないと考えているね。
DvorakJを使えるのがWinだけだから、
僕は毎日Fuckといいながら使ってるだけだ。
デザインの美しさは動線の美しさだ。
動線の美しさとは合理の美しさだ。
合理の美しさとは、負荷がない、
例外のない角が取れた流線型の美しさだ。
qwertyにはそれがないし、
パッチを当てること自体が美しくない。
その負荷は、思考を濁らせて醜くする。
僕が一番憎んでいるのは、そこなんよな。
左に斬る時だけ中指で握るようにして、
下から切り上げるときだけ右の小指で持つようにして、
突いてから引き戻す時だけ右足の指で大地を掴み、
袈裟切りのときのみ左右の手をくっつける、
みたいなパッチの当たった日本刀は?
それじゃあ鈍るだけよな。
2025年11月14日
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