2025年11月14日

より演劇的な(「リバー、流れないでよ」評)

タイムループものつながりでこちらを。
演劇と映画の差異について考えたい。

あー、京都の小劇場がとても懐かしい。
僕はここに留まるという人生の選択肢、
あったかもしれない。
でも僕は映画がやりたかったんだよなー。
映画と演劇の違いについて。

ネタバレありです。


先日みた「MONDAYS」と同じく、
ループもの。
密室劇、癖の強いキャラクター、
コメディ、
ループから脱出するという大目的は共通。

ちょっとエモい恋愛があるのが、
こちらの勝ちかも知れない。
「時間を止めたい理由」がそれぞれ違ってて、
そこにエモさがちょっとあるのが関西風だな。

僕はこっちの味付けの方が好き。
2分だけの逃避行がいいよね。
最高に美しい雪が降ってるのもいい。
撮影大変そう。
リハしたら足跡つくから、
あそこは気合いの撮影だったと思うとすごい。
車の中にカメラ入って、
ワイパーで雪落としてるうちにカメラが後部座席に移動するのが、
マジ職人技。


そしてオチはまさかのタイムパトロールかよ。
みんなでエンジン吹かすのに、
最後は猟師まで持ってくる展開に拍手。

ストーリーのキレはこっちのほうがよくて、
さすがヨーロッパ企画。


でね。
これ、演劇で見たら「あーおもしろかった!」
で終わったと思うんだよ。
でもこれ映画なのよね。

映画と演劇はなにがちがうのか?

記録として残るか、生かの違いだと僕は思う。

生はね、100%でなくてもいいと思うんだよ。
失敗や成功も込みで、
一回性の人生と同じで、
この役者たちと舞台との出会いを楽しむものだ。
キャバクラもそうだ。
この60分の生の時間を楽しめればそれでいい。
飲みに行くのもおなじだと思う。

でも映画はそうじゃない。
もっと細かく、綿密で、
永久保存するべきなにかをつくる。

だから、
「それがなにか」
「それが全体で何を意味するか」が決まっちゃうのよね。
それがあって、
「なるほど!これは一つの物語であった!」
と締まらないと、
ダラっとなっちゃうんだよ。

つまりテーマだ。

貴船は未来に賑わってる。
フランスへ行くけどたぶん帰ってくる。

ラスト、お参りからがそれを描くチャンスだった。
僕は逃げずに、
「3日で修行終わりますように」って言わせるべきだったと思う。
で、彼に、
「きみがフランスに遊びに来ますように」って、
ちゃんと言わせるべきだったと思う。
月との恋愛が成立するんだから、
貴船とフランスぐらいなんてことないだろ、
って思わせて、
「きみがフランスに遊びに来る日を、
未来で待ってる」ってしないと、
「未来を動かす」ことのテーマに落ちないと思う。

失恋じゃない、というところで終わると期待してる観客に、
答えきれてないと思った。

演劇だとそんなきれいな結晶にはならない。
ライブだからね。
でも映画は、時間の結晶だと思う。

「立ち止まってた人生が、未来に希望を持つことで、
動き出す」という結晶にするべきだと思う。

それが、記録として永遠に残るものと、
1回で忘れられるものの差だと思う。

ライブがたくさんあったとして、
でもあのライブだけは奇跡だったよな、
あれは記録に残したいな、
というのが時間の結晶である、
映画だと思う。


その後2人が別れても結婚してもどっちでもいい。
貴船は恋愛成就の神社で、
そのお守りをもってるわけだ。
なんで最後にそのお守りを渡して、
「貴船は逃げない」って言わねえんだよ。
その思いの純粋さこそが、
時間の結晶という魔法だろうに。




以下自分語り。

僕は京都で学生をやってるときに、
何度か貴船にいった。
数年前一人旅でまた貴船に行ったんだけど、
京都は逃げないな、って思った。
そういう磁場が京都にある。
それを生かさないで何が京都やねん。

そういう意味で、
僕は京都の創作界隈が中途半端に思えて、
中央に出てきて勝負しようと思ったのだった。



低予算だよ。でもロケーションは最高だ。
キャストたちは芸達者でキャラがいい。
雪を生かしてて最高に絵はいい。

あとは、テーマだけやんか。

実に惜しい映画でした。


結晶化しないから、
劇作家は何本も量産できるのかもしれない、
と逆に多産の人たちをうらやましく思う。


「ドロステの果てで僕ら」もみなきゃな。
posted by おおおかとしひこ at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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