舞台演劇的な、タイムループものを立て続けにみた。
「MONDAYS」「リバー、流れないでよ」だ。
どちらも面白かったが、
決定的に足りないものがあると思った。
イコンだ。
(以下ネタバレなしでつづけます)
イコンとは強力な一枚絵のことだ。
それを見れば「あああの作品ね」とか、
「あの場面を思い出す」になるような、
オリジナリティの高い絵のことだ。
面白い映画には必ずそれがある。
そしてそれがポスターになる。
2作とも、「ループする」という話だから、
一枚絵になりづらい。
「MONDAYS」の方なら、
ギリ会社から出たらみんなが徹夜してる朝の会社につく、
みたいな絵を描くことはできるが、
それが作品を象徴してることかなあ?
「リバー」のほうは、
貴船神社の階段は美しいが、
その前にキャラクターが並んでても、
作品の内容を表したことにはならない。
つまり、ループは絵になりづらい。
「MONDAYS」は、
まだ絵によるイコン化を図ったあとがある。
「窓に鳩がぶつかる」
「鳩のマークを両手でつくって、机にドン!」だ。
これはループに気づくことを意味したものなので、
「世界がループしてる?」
までは象徴出来るかも知れない。
だが、初見の人が鳩のポーズや窓にぶつかる鳩の絵を見て、
「月曜に会社がループする話かー!」
と理解できるわけではない。
つまり、ループものは絵にそもそもなりづらい。
「MONDAYS」には、
絵としてイコンをつくろうとした形跡はたくさんある。
みんなが会社で起きる朝、
ハンカチを落としたのを拾うやつ、
緑色のブレスレットを壊すやつ。
だけどそれらはすべてディテールにすぎない。
「リバー」はさらにない。
旅館の構造はおもしろく、
立体迷路のようであったが、
一枚絵として象徴しようとは考えていなかったようだ。
短い2分のループは常に1カットで撮影されていて、
カメラがぶん回されていたので、
記憶に残りづらかったのもある。
それでもあの雪の中の逃避行は、
我々の記憶の中に永遠に残るイコンになる。かな?
僕は、
映画的物語とは、
複雑な現実のような話を、
複数のイコンにまとめあげること、
だと考えている。
どちらもお話はおもしろかった。
だけど、
名場面が絵として残っていないので、
映画としては三流だと思ってしまう。
とくにテーマが不在で、
ああ、これを言いたかったのか、
と象徴的な場面がないので、
「流れていっておしまい」なんだよね。
テーマがないが故に、
テーマを示す絵がないわけだ。
「ロッキー」にはある。
ボロボロのロッキーが「エイドリアーン!」と叫ぶ絵だ。
女を愛するただの男が、
やってやったぞ、
俺はお前を愛する男だ、
何者かになったのだ、
という自分探しの結末がイコンになっている。
だからスタローンはスターになったし、
そのロッキーのポスターが街中にあったのだ。
公開時の実際のポスターは、美術館の階段をかけあがり、
両手をあげて朝日に吠える後ろ姿なんだけど、
そんなの誰もロッキーだと思ってない。
我々のイメージの中のロッキーとは、
ボロボロで目が腫れて血まみれで、
それでもエイドリアーンって叫ぶ姿である。
それがテーマだからだ。
これが公開時。
そして、Tシャツ版しか探せなかったが、
当時はこういうのをよく見た。
こっちのほうがイコンになってるよな。
テーマに近いからだ。
そんなイコンに匹敵するなにかが、
2本の映画には足りなかった。
「MONDAYS」はこうだった。
同じ人が何回も社長を説得してる、
って絵だったのか。
僕はパッと見ごちゃごちゃしてるので、
何人もの人が真ん中の人に何かしてる絵にしか見えなかった。
これを見て「タイムループ」は無理でしょ。
1週間を会社内でひたすら繰り返す話なんだから、
カレンダーでやればいいのに。
日曜と次の月曜が繋がってるカレンダーをつくって、
そこで右往左往する人々と上司を乗せればいいのに。
もう1枚はさらにわからない。
タイムループに気づかせるための「鳩のポーズ」
だと見た人にはわかるが、
未見の人に理解させるのは無理だ。
変な顔した人が変なポーズを取ってるだけだ。
しかも手がいまいち鳩っぽくないので、
思い出すこともしんどい。
せめて鳩のポーズをわかりやすくして、
しかも後ろに窓があって鳩をぶつけるべきだろうに。
タイトルが「MONDAYS」もわかりづらいよな。
「無限ループ月曜日」でいいと思うけど。
「何度やっても月曜の会社に戻っちゃうんです」でもいいかも知れない。
「リバー、流れないでよ」はこちら。
いや、貴船神社の階段のロケーションはいいよ。
雪も美しい。
でもさ、これでループものは無理がある。
有名人がたくさん別のポーズで出てればまだわかるが、
知らない人なのでおかみさんがいっぱいいるようにしかみえない。
かなりイコン化に失敗している。
これじゃ誰もわからない。
「リバー」のほうにはチャンスがあった。
貴船神社の恋愛成就のおまもりだ。
これをテーマの象徴にできたはず。
冒頭でお参りしてた乃木坂の可愛い子は、
そのお守りを買っていたから、
それを貫いてテーマにできたはずなのに。
そのような、絵とテーマが結びついた、
強いイコンがなかったことが、
つまり、
テーマ性がなかったことが、
僕には敗因に見える。
実際、僕はこの2つの作品のポスターには、
何一つ惹かれなかったもの。
「おもしろそうな話だな」と思えなかったもの。
世の中の評判を聞いて見ただけで、
何も調べずに見ただけだ。
つまり、象徴性の失敗は、
観客の動線にも失敗してるし、
そのあとの記憶の定着にも失敗している。
映画は希少な絵で人を惹くべきだ。
そしてそれがテーマを象徴する、
力強い絵になっているべきだ。
根本的なことが、欠けていたのが残念だ。
え?「いけちゃんとぼく」のボスターは?って?
僕は大反対したが宣伝部が勝手に決めたんだよ。
相談はなかったし、
ある日突然刷り上がったポスターを見せられて、
変える権利は僕にはなかった。
僕はその出来の悪さに大変に怒り狂ったが、
そのまま強行された。
映画の内容を台無しにしたあのポスターに関しては、
今だにあいつらは死ねばいいと思っている。
そしてそのことが、
「わかりやすいテーマ=イコンがなければ、
宣伝部が低い理解力で勝手にやってしまう」
という教訓を生んでいるわけだ。
もちろん、脚本や監督を超える実力のデザイナーがいて、
「あんたたちの話はこの一枚絵で象徴できるぜ」
と絵をかいてくれる可能性はなくもない。
だが、それを期待して生きるべきではない。
脚本家自身が、自分でイコンでテーマを象徴するべきだ。
2025年11月15日
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