おもしろい概念だ。
なぜ人は会話するのか?
についていくつかの示唆をくれる。
https://mamekichimameko.blog.jp/archives/90873233.html
つまりこの母は、
「自分のことをしゃべること」が会話だと思っている。
正確には発話のみなのだが、
相手も返してくることが前提
(私はちがうな、○○だ)なので、
大体言いたい事を言い終わったらそこで「会話」は終了だ。
これに対して、
ふつうの会話とは、
Aという議題について設定しよう、
私はAはBだと思う、
私はCだと思う、
わかるー、
Bではなくて実はDでは?
などであり、
結論が出る場合もあればない場合もある、
そして討論ではないため、
結論をそもそも求めていない、
などであろう。
つまり会話の目的である。
AはBという話をしたいのか、
Aについてみんなが思う事を聞きたいのか、
は、
「Aは」の時点で確定していない。
しかし「より自分の言いたいことを言いたい人」
「より声が多く素早い人」が、
会話の主導権をにぎる。
これは、多くの家族がいる家庭で育った人の特徴だ。
兄弟が3人以上いたり、
3世代いたり、
常に飯の時に沢山の人がワイワイいて、
会話する家で育つとこうなる。
そうしないと沢山の人をおしのけて、
自分が主役になれなかったからだ。
(末っ子なんかはスッと美味しいところだけ取っていくのがうまい)
最近の子達は、会話に参加せず、
スマホという別空間に逃げるので、
リアルの場で会話を押しのけて入ってくることをしない。
それはスマートではない、
みたいな美意識もあるかもしれない。
(その代わり匿名で陰湿なこともある)
その、世代差が如実に出ている感じで面白い。
さて、脚本論に戻そう。
脚本における会話は、
このようなリアルな会話とはだいぶ違う。
情報の交換、
気持ちの整理、
目的の設定、
決断、決定、
そしてそれらがなるべく簡潔に済むこと
(言語がないほうが優秀)、
そしてそれらがなるべく名文であり、
構成に残る名セリフであること、
などが必要であろう。
会話泥棒はいない。
それは脚本上における段取りに対してノイズだからだ。
たとえば会話泥棒のようなノイズとしては、
SW1のジャージャービンクスがいる。
このイラつきは、
リアルなら我慢できても、
映画を見る上では邪魔この上ない。
なぜかというと話の進行をただ止めているからだ。
つまり脚本の会話は、
実は進行をしているのだ。
リアルな会話を観察することで、
実は脚本の会話とは全然違う事を、
学習するとよい。
逆に。
分かってきたら、
こうしたリアルを取り込むと、
段取り進行にならなくて大変リアルになる。
ただし、このおかんのような会話泥棒は、
ストーリーの道具になってなければならない。
おかんがペラペラしゃべっているうちに、
この2人の共同戦線が成立して、
別の事をはじめるなどだ。
そうすれば、
リアルを利用して、ストーリーの進行道具にできたことになる。
ジャージャービンクスも、
普段はうるさい無駄口だけど、
こういう場面で役に立つのだから無下にはできないな、
があれば意味があったが、
なかったので、ただ邪魔なだけだった。
つまり、
脚本には、無駄な会話など一文字もない。
2025年11月23日
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