2026年01月15日

疑似世界での疑似成功体験

物語とは何か、と考えると、
ゲームのような何かに似ているともいえる。
映画のようなにならなくても、作り話もそうだと思う。

疑似世界での、疑似成功体験が、
その本質ではないかと。


まず、人は成功したい。
しかし、実人生で成功することはなかなかに難しい。
自分の基準がどこかわからないし、
他人と比べてしまったら底なしだ。
映画みたいに、
「シンデレラストーリーのようなパァァァっとした成功の瞬間」なんて、
人生にはほとんどないだろう。

大学受験の成功とか、結婚式とか、
それでも物語のような成功みたいなイメージにはならないんじゃないかな。
もっとリアルな体験になると思う。

たとえば僕が大学入試で合格した日のことはまだ覚えてるが、
サークルの勧誘や下宿の勧誘がめっちゃ多くて、
怪しい業者もいっぱいいたんだろうなー、
みたいな記憶しか残ってない。
もちろん胴上げしてる人たちはいたけど、
僕は通過点だと思ってたので、
リアルな合格発表は群がる業者、
という光景なんよね。


で、
なかなかぱあーっと成功しにくいリアル世界と違って、
物語は疑似世界、架空の世界を構築する。

それは現実のリアル世界とは違っていて、
簡略化されている。
どのようにかというと、
「成功しやすいように」だ。

簡略化することで、
現実に起こる厄介なことが起こらないようになっている。
あるいは、
「成功するための道筋が実はある」
のようになっている。
それを見つけるゲームのようなものが、
ストーリーであるともいえる。

つまり、簡略化した疑似世界は、
現実のように理解しがたい、ノイズの多い、
理不尽なものではなくて、
ある種の整った、成功するルートがある、
整理されたような世界だ。
そこで成功の疑似体験をすることが、
物語をみたり、ゲームをすることになると思う。

将棋で負けたときに、なぜ盤面をひっくり返すのか。
スト2で負けたときに、なぜコントローラーを放り出すのか。
成功できなかったからだ。
スポーツで負けたときのくやしさも同じだろう。
成功を目指すものは、
敗北をしたら不快になるわけだ。

だから、物語では、
必ず成功することになっている。
疑似体験としての成功が目的だからだ、
といってもよい。

そしてそれは疑似世界で行われるので、
つまり物語とは、
「人生を簡単にしたもの」だといえる。

どこまで簡単にしたものか、
どこまで成功を簡単にするかは、
ストーリー次第だ。
まるでほんもののようなリアリティから、
嘘くさいご都合主義まで、
いろいろグラデーションはある。
それは作者の技量と、
狙いによって変わってくるだろう。


で、
疑似世界で疑似成功することで、
我々は自尊心がくすぐられ、
真似しようと思うはずだ。
私はあの世界の主人公のようであると。

このとき、私と主人公にはある種の差がある。
主人公のような能力はないからだ。
主人公は能力があるからこそ成功した。
その疑似世界で成功するだけの能力があったわけだ。

「自分を主人公にしてはいけない」というのは、
「自分の力ではその疑似世界でも成功できない」危険と、
「自分の力で成功できるほどに疑似世界を簡単にしてしまう」危険の、
両方を警告しているわけだね。
だから、
まったく違う能力の主人公をつくったほうが、
疑似世界での疑似成功を創作しやすいのだ。

で、
まったくただの成功を見るだけでおもしろいか?
となると、それだけではダメかもしれないね。
つまりテーマだ。
その成功に何の意味があるのか、
人生に影響がないものはつまらないのである。

ただ成功したのを見て、
なんにも自分の人生に反映しないのならば、
他人のセックスをただ見ているAVと同じだ。
(むしろ、良い出来のAVとは、疑似世界で疑似成功を描いているのだ)

そうではなくて、
その成功やそのチャレンジと、自分の人生が重ならないと、
教訓も衝撃も得られないと思う。

もちろん、教訓を得るために物語を見るのではない。
ただ疑似世界での疑似成功がおもしろいから見るのだ。
だけど、「終わってみればこういうことだったなあ」があると、
それがとても価値のあるものに見えるのだ。
冒険は宝物になるわけ。
もし、それが宝物でもなんでもない、
ただの素人AVの排泄行為のようなものであれば、
捨てられて次を求められるだけだろうね。

もちろん、そうなるには、
疑似世界なのに感情移入が重要になってくる。
架空の世界なんだけど、
自分と同じところを見つけて、人は自分をそこに見出すのであった。
それは高校生とか、背が低いとかの外側のスペック的なものではなくて、
人に優しいとか、勇気が出ないけど頑張りがち、みたいな、
内面の誰にでも当てはまるもののほうがよいのであった。
(バーナム効果を利用しているともいえる)



なぜ人は物語を求めるのか。
成功していないからだ。
成功者はきっと物語をみない。
疑似世界での疑似成功を見て、
成功できるかもしれない、と思うのが、
人は好きなのではないだろうか。

ということは、マトリックスにとらわれた人類が見ている夢は、
きっと疑似世界で疑似成功する、物語なんだろう。
たぶん彼らは映画を見ている。



我々はなぜ物語を書くのか、
理由は色々あるだろう。
だけど、
なぜ人は物語が好きで、そこに意味を見出したいのか、
という根本的な理由は、
あまり議論されることはない。

映画は儲かるからやる、
漫画は儲かるからやる、
という人(プロデューサー、制作委員会)はいると思う。
だけど、
「人類にとって必要なものだからやる」
と考えている人はどれくらいいるだろう。

そう思うと、企画の考え方が全然変わってくると思うよ。

受けるものをやろう、
今いる芸能人を売るためのものをやろう、
受けたから二番煎じをしよう、
ではなくて、
「疑似世界での疑似成功を求めているから、
その新しいバリエーションをつくろう」
と考えると、
新しい物語が生まれる可能性が高くなると思う。


しょせん物語なんてつくりものじゃないか、
という人は、リアルで成功してください。
つくりもののなかのつくりものの成功から、
私たちは何かしらの真実を見出す。
それがきちんと世界を簡略化して、
なおかつ世界の真実をうまく抽出して表現できていれば、
それはよい物語なのだ。

複雑な現実を前にして扱いようがない途方に暮れている状態に比べれば、
「世界とはこのようなものである」と、
簡略化して示すほうが、
人類にはよっぽど有用だと思うよ。

もっとも、オレツエーみたいな、
ただの消費する刺激だったり、
ただセックスするAVのようなものもある。
どちらも疑似世界での疑似成功である。

その無限のグラデーションの中で、
納得がいく疑似成功、
というのが大事なのではないか。
posted by おおおかとしひこ at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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