2026年01月19日

まずリアルにだらだらと書いてから省略する

脚本というのは省略の技法であり、
それを追求して、初めて表現たりえるものになると思う。

しかしそれは現実をうまく省略しなければならず、
最初からそれを書くのは大変難しい。

ということは、
最初はリアルにあり得ることを書いてみて、
それから省略技法に書き直すとよい。


クリントイーストウッドは、
シーンの前後を含めた台本をすべて用意して、
マルチキャメラでワンシーンワンカット撮影するそうだ。
つまり、
シーンで描きたいことがあったとしても、
リアルですべて再現したうえで、
そのあと編集で省略技法に昇華する、
ということをやるらしい。

映画上では1分のシーンだとしても、
それは10分にわたる、シーン前からの気持ちや、
そのあとの気持ちや動線の処理まで含めて、
全部演じたものがあって、
そこでおいしいところを使うそうだ。
そうすることによって、
役者は徐々に気持ちを盛り上げていけるそうだ。

「実は〇〇だったんです……」
「なにいっ……」
という驚きのシーンがあったとして、
そこだけヨーイスタートでやっても、
嘘くさい芝居にしかならないが、
そのはるか前から演じ始めていると、
次第に気持ちが入って、
本気で驚くことができる、
というやり方だ。
役者にとっては演じやすいらしい。
しかも「どこを実際に使うか、事前に言わない」ので、
役者にとっては全部を本気でリアルに演じさえすればよい、
という割り切りが効くわけ。

そのかわり、
ワンテイクしか撮らないよ、ということらしい。
なるほど、面白いやり方だ。

で、もちろん現場でこれができればいいのだが、
我々はイーストウッドのような巨人ではないので、
もっとコンパクトな、普通の脚本と撮影時間しか前提とできない。

なので、脚本上で、すでにこれがやってあれば、
いいじゃん、
というアイデアである。


すなわち、
全部の会話を一回全部書いてみるとよい。

今銭湯で仲良くなるシーンを描いているのだが、
銭湯に入るところから、
服を脱ぐところ、
頭を洗うため番台でシャンプーを買うところ、
なども含めて、
次に頭を二人で並んで洗いながら会話する、
という場面を書いていた。
で、「頭を洗うところから始める」
という風にカットした。

〇銭湯、内
   並んで頭を洗う二人。
A 「散々だったなー!」
B 「まったく!」

になったわけだ。
こんな風に省略された部分も一回書いてみることで、
「ここに話を飛ばせるな」ということに気づけるわけ。
シャンプーを買うときの会話は、
一端はカットしたけど、
頭を洗いながらのセリフに混ぜ込むこともできる。
そして「散々だったなー!」すら、
表情の芝居にしてカットしてもいいんだよ。
シャンプーで泡立った頭を、無言で掻きむしる。
みたいにしてもいいわけ。

そんな風にして、
リアルに話すことを再現した会話で、
良く書けたところは、
あとで再利用してもよい。
ここで「過去は関係ない、今と未来だけ」
なんて気の利いたセリフを書いたんだけど、
それはあとで再利用したし。


同様に、これはシークエンスにも応用できる。
飲み屋、銭湯、飲み屋、車、家、
という段取りであったのだが、
二回目の飲み屋は省略して、
銭湯から家につなげるな、とか、
その時の会話はこっちに持ってこれるぞ、
などのように編集行為が行われ、
結果として省略がうまく効いたものが出来上がった。

こういうことは、やってみないと分からないものである。

他にも、
チンピラが剣道場に頼もう、とやってきて、
徐々に剣士を倒し、
師範代の二人を二対一で倒し、
ラスボスを引き出す、というシーンを書いたけど、
そんなことをやらずに、

〇剣道場、前
   チンピラが竹刀を肩に担いでいる。
〇同、内
   二対一でチンピラがあっという間に剣士
   二人を倒す。
ラスボス「私が相手しよう」

でいいということに気づくわけ。
そしたら、二対一のアクションを面白く描く隙間ができるわけだ。
で、脛払いをして倒す、
という剣道では反則だが実戦では有効な技を繰り出して、
剣士は「反則だ!」というけれど、
ボスは「路上でそんなことを言うのか?」と認める、
というシーンを書くことができた。

こんな風に省略が効いていくと、
リアルから離れるが、どんどん劇的になっていくわけ。

リアルがやりたければ、
それこそ、
剣道場で「たのもう!」
剣士「なんだ? 入門者か?」
なんて所からはじめなれけばならず、
ラスボスを引き出すまで、だいぶかかるに違いない。
実時間なら10分15分、下手したら30分かかるようなことになるわけだが、
省略の効いたつくりごとならば、
「私が相手しよう」まで30秒でいけるわけだ。

こんな風にして、
一回リアルで全部書くと、
これはめんどうだな、
ということがわかるので、
省略を効かせた様式美に落とし込むことが可能になるわけ。

で、省略させすぎたなあ、と思えば、
復活だってできる。
あるいは、もっと省略もできる。
ラスボスを倒したところから始めてもいい。
みんな床に倒れている全滅した絵から始めて、
「これで入門を許してくれますね?」
から始めても問題ないわけだ。

どの程度省略するかは、
前後関係で決まる。
それがどれだけ重要か、
あるいはじっくり見たいか、でも決まる。
もしチンピラの喧嘩殺法が重要ならば、
もう少しじっくり見せることになるだろう。

それもこれも、
「リアルであった全部」があると、
考えを前後させやすい、
ということがわかると思う。


いきなり「脚本とは省略である」
みたいなことを言っても、難しい。
ということは、まず全部のせをやって、
それからうまく省略することを学んだほうが早い。

そしたら、
「全部終わったところから始める」とか、
「起こったことを描かずに伏せておき、
あとでそこを利用する」みたいな複合的なことを、
工夫することが出来るようになると思う。


とりあえず、
自分的には新しい体験としてリアルに想像しておいて、
他人に伝えるときに、「伝え方としての脚本」を考える、
という二段階にわける、
と思ってもらってもよい。
posted by おおおかとしひこ at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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