好奇心が足りていないからでは?ということを書いてみよう。
ストーリーを書いている途中、
あんなにあった熱が冷めていることがとてもよくある。
詰まらなくなってしまっている。
ストーリー自体も、
あなたの中での評価も、だ。
最初は「こんなに面白い話が世の中にあるのかよ」
くらいにうぬぼれて始めるものだが、
それが次第に息切れして、
どんどん平凡なストーリーになってゆき、
平凡を下回った時点で、
ストーリーの熱も、
あなたの熱も冷めてしまう、
ということはとてもよくあることだ。
で、何が足りていないのか?と悩み、
そしてなかなか抜けられないトンネルに入る、
というのが脚本づくりで、もっともよくあることだと思う。
これの、抜け方は色々あるのだが、
今回は「好奇心を失っていないか?」という観点から論じたい。
どういうことかというと、
「今目の前で起こっていることに、
興味も好奇心も持てていないのでは?」ということ。
たとえば、あなたの関心ごとが喧嘩しかないとしようか。
バトルシーン、アクションシーンは熱を持って書けるとする。
しかし、人間ドラマパートに来たり、
恋愛パートに来たり、
謎ときパートに来たりすると、
急に熱情を失い、ストーリーが失速しているわけだ。
こういうとき、あなたは「ひとつのことにしか興味がない」から、
そうなっている、という可能性を考えよう。
アクションにしか興味がない場合、
人間ドラマも恋愛も謎解きもつまらない、
アクションしかおもしろくない映画が出来上がるのでは?
と、俯瞰して考えてみるのだ。
つまり、
あなたはもっと、人間ドラマや恋愛や謎解きに、
興味をもつべきでは?ということを言っている。
これからコンビニに買い出しに行かないといけない、
というどうでもいい目的になったとしても、
「ほほう、コンビニには何があるのだろう?」とか、
「こんな時間帯にいる客はどういう事情なのだろうか?」とか、
「新しく入った店員さんはどういう人なのだろうか?」
など、
なんでもいいから強い興味や好奇心を抱くべき、
ということを言っている。
つまり、あなたの熱が冷めているのは、
「あなたの興味のないことを書いている」
ことから生まれている、というわけ。
じゃあ、やることは二つだ。
興味のあることだけを書くか、
興味の範囲を増やすことだ。
前者だと、ずっと同じことにしか興味がないわけだから、
話の幅が狭くなるだろう。
アクションしか興味のない人がつくった映画なんて、
全然おもしろくないのは、
アクション出身の人の監督作品を見るといい。
アクションはいいけど、全然人間は深くないし、
ストーリーとして全然盛り上がらないことは、
とてもよくあることだよね。
アクションにも興味があり、
人間のドラマや悲哀にも興味があり、
恋愛にも興味があり、
そしてコンビニに行くにしても好奇心全開である人のほうが、
おもしろい話を書けそうじゃないか?
つまり、
どんなことがあっても、ビビッドに反応して、
これはどういうことなのだろうと興味を持ち、
平凡な材料であっても、
新しい観点でそれを見ることができる人が、
ストーリーに興味をもち、
熱のある話に仕立て上げられるのではないだろうか。
つまり、
「興味ない」と拒絶していては、
いつまで経っても熱は生まれない。
熱は、好奇心から生まれる。
あなたの脚本がどんどんつまらなくなっていくのは、
最初に描いたことや、次に控えてる重要シーンにしか興味がなく、
今書いている、それ以外のシーンに興味や好奇心が持てないから、
つまらなくなっているのである。
この平凡なシーンを、
もっとチャーミングにするにはどうしたらいい?
この平凡なつまらないシーンの、
どこなら好奇心が持てる?
そういうことを考えていくと、
「あー、俺はこの場面に興味も好奇心もないんだなあ」
ということを発見できるはずだ。
じゃあ、好奇心の持てるような場面に、
書き換えてしまえばいいのだ。
アクションにしか興味がないなら、
なんでもアクションにしてしまうだろう。
それは好奇心の幅として狭いので、
すぐに飽きられてしまうだろう。
そうではなく、
ストーリーのどの要素にも、好奇心を持ち、
それを面白おかしく書ければ、
それは面白くなるよ、
ということなのだ。
冷めた心じゃ何も書けない。
クールなものが書けるわけでもない。
(クールは熱情が書けて初めて書けるものだ)
好奇心のなせる、
柔軟でわくわくする力で、
どんなものでも眺めてみることだね。
それが毎シーンできれば、
あなたのストーリーはみずみずしさや柔軟性を保ち、
張りのあるテンションになっていくはずだ。
あなたが興味を持たずして、
誰がそのシーンに興味を持つというのだ。
2026年01月20日
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