2026年02月12日

一番声を張り上げるところはどこか

ちょっと前の(今もか?)の邦画の予告編は、
なぜか主人公がうわああああと声を張り上げるところを、
よく使っていた。
泣いたり叫んだりするのが映画じゃねえよ、と言われたし、
感情はそれだけじゃないだろうとも言われた。

で、仮にあなたの映画の中にそれはあるかな?
あるとしたら、どこだ?


悲しんで慟哭するとき、
怒りのあまり叫ぶとき、
達成感のあまり世界に自分の存在を叫ぶとき、
などなど、
色々な叫ぶがあるだろう。

仮に、クライマックス、
センタークエスチョンの事件を解決して、叫ぶとしよう。

その吠え声が、一番大きくなるべきじゃない?


もちろん、
そんな表現はべただから、
実際の脚本には、
「……」と黙ってその結果を受け入れるような、
静かな表現になっていることが多いだろう。

だけど、
仮に、達成して、
「うおおおおおおお!」と拳をあげて叫ぶとしようか。

そしたら、他の叫ぶシーンは、
これを100として、どれくらい?ということだ。


途中で泣き叫ぶシーンがあるとしよう。
80ぐらいがいいんじゃないか。
それが125とか、クライマックスを超えてたら、
クライマックスの感情レベルが負けていることにならない?

つまり、
「最も叫ぶところが、最も山になるべきだ」
ということを言おうとしている。


叫ぶポイント、
感情が振れるところをすべてチェックしよう。
その感情レベルをメーターにしてみよう。

50が平常心として、
マックスが100としよう。

友達が死んで泣き叫ぶシーンは、80くらいだろうか。
上司の理不尽に怒り叫ぶシーンは、75くらいだろうか。
喧嘩に向かうシーンは、90くらいだろうか。

そんな感じで、
適当に感情メーターをつけてみよう。

そして、最後のクライマックス、
すべてが解決して、
狼が吠えるように、
勝利の雄たけびをあげるとして、
それが100になっているだろうか?

逆に、落ち込むシーンは0になっているだろうか?
感情が下がっていくシーンは、40や20になっているだろうか?


大人だから、素直に感情を表現しないし、
日本人は急に叫んだりしないのだが、
これがインド映画だとして、
とても素直に表情を見せ、
アメリカ人みたいに感情を豊かに表現すると仮定する。

自分の映画をインド人やアメリカ人がリメイクすると仮定して、
自分のストーリーの感情メーターを、
叫ぶように仮定してみるわけだ。

そのときに、
欲しい数字に届いてなかったら、
ストーリーを書き直すべきである。
セリフやト書きや順番程度では変わらない。
○○は○○だというふうに変えるとか、
設定自体が変わるとか、
段取り自体が全然変わるとか、
ストーリーラインが消えるか、増えるか、
振りと落ちが変わるとか、
そういうことになるだろう。

欲しい数字よりも振り切れてたら、
それを下げてよりつまらないシーンにするか、
他をあげて、より山を高くするべきだろう。


今書いている話で、
第二ターニングポイントが叫びのマックスになってしまっていて、
これはよくないなあ、なんて思っている。
だけどよくできているシーンなので、
グレードダウンするわけにはいかない。

なので、
クライマックスをより高くするために、
また最初から考えないとなあ、
なんて思っているわけ。



それを考えるために、
「仮に叫ぶとすると?」
と考えると、
わかりやすい指標になるな、
などと思ったわけだ。

あとは、その大きな感情の表現を考えればよい。
叫んでもいいし、
そのへんのものを殴って壊してもいいし、
無言で耐えてもよい。
誰かにつかみかかったりしてもいいし、
ぐるぐる回ってもよい。
どうなるかはあなたの表現力しだいだ。


邦画が泣き叫んでいるだけだ、という不満は、
表現手段が毎回同じだ、ということにすぎない。

叫ぶほどの感情に支配されないような物語は、
物語として弱い。

叫べ。泣き叫べ。怒り叫べ。喜び叫べ。
その叫びこそが物語だ。
表現は、叫ばなくてもよい。
内面の叫びが、
物語に必要なだけだ。
posted by おおおかとしひこ at 08:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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