2017年12月30日

新しいイコン

さらにこの話はつづく。
結局、定番の組み合わせができてしまっている。

新しい話とは、
実はプロットが新しいのではなく、
象徴(と絵とタイトル)が、
新しいものであることが多い。

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posted by おおおかとしひこ at 14:25| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月29日

タイトルとイコンと名詞

前記事の続き。
で、その小道具の場面が肝になるとき、
その名詞をタイトルにするとよい。

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posted by おおおかとしひこ at 15:08| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

絵で象徴すること

小道具をうまく使え。これは何度か書いてきた。
「アパートの鍵、貸します」に使われる小道具はとても良い。

最近書いた話から、いくつかの例を。

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posted by おおおかとしひこ at 13:15| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月27日

【光魔のピカ太郎さんへの回答箱】ご都合主義は、一回まで

>「君の名は。」に対する批判の中に 「なぜ二人が入れ替わったのか理由づけがない」 「体が入れ替わったら真っ先に、 今自分がどこにいて西暦はいつかを調べるはず」 「たそかれ時に出会った二人、危機的状況であるにもかかわらず イチャつくのはおかしい」 「お互いの連絡先くらいノートに書いとけ」 みたいなことを御都合主義だと批判する意見が見られます。 これとか。 http://blog.goo.ne.jp/nobubu_001/e/3e13b1d90001c5e42adf549bc07d7bca 確かにそうだとも言えるし、 でも別にそんな気にする必要もなかろうとも言えるような… なんてことを考えていたら何だかよく分からなくなってきました。 御都合主義とは?それはどこまで許されるのか?

原則はひとつです。
「嘘は、いっこまで」

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posted by おおおかとしひこ at 15:36| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月26日

面白いものをつくれない原因

脚本論そのものとは違うけど。
「争いを避けるプロデューサー」にその原因があるのでは。
「納品する責任」だけがあり、
面白いものを作る責任がプロデューサーにないと、
プロデューサーは、
喧嘩しようとする俺と、メアリースー当人を会わせずに、
降板を決定することになる。

長期的に見れば、ここで大げんかして、
メアリースーに気づかせてあげたほうが、
今後のいい関係になるのだが、
目の前の俺の喧嘩腰を折るだけで済ませる、
その感じが、
名作を生むチャンスを阻害している。

争いは何も生まないのは、戦争だけだ。
(実際、戦争は特需や植民地や技術開発を生むが)
人は争うことで切磋琢磨するのに。
俺は喧嘩するために上京してきた。
やんわりと断られるために来たのではない。
つまらん。
posted by おおおかとしひこ at 13:21| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

時々バカになろう

しちめんどくさい理屈は、
時々捨てよう。

それは詰まらないものを、
下手な理論武装することにしか役に立たず、
貝になることにしか使えない。

バカが見ても面白いものをつくろう。
理屈は散々こねてもいい。
問題は、出来上がったものが、
理屈抜きに面白いかだ。

posted by おおおかとしひこ at 03:05| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月25日

ストーリーには、目的語が必要だ

ストーリーとは一語の動詞で書けるべきだ。
これは今までも書いてきた。
しかしメアリースー症候群は、
これを自動詞にしてしまう。

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posted by おおおかとしひこ at 12:45| Comment(2) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月23日

メアリースーチェック

というものでも作ってみるか。

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posted by おおおかとしひこ at 17:47| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

doがドラマであり、be doneはドラマではない

勿論、doばかりを一方的に仕掛け続けなくてもよい。
be doneからはじまって、
doで返し、またbe doneされて、doで返し…
というリレーがあってもよい。

しかし、主人公が、be doneされておしまいなのを、
メアリースーという。
それは受け身願望で、御都合主義で、
甘えだ。

世界をdoで変える。
それがドラマだ。
反発も抵抗もあるだろう。
でもそれが正しいからこそ、第三者(世界の中の人、観客)は応援するのだ。
世界を悪い動機でdoするやつを悪という。
ドラマはdoとdoのぶつかり合いだ。
決してbe doneのセットではない。
何故なら、演劇や映画は、
観客がbe done状態のメディアだからだ。
be doneの口開けてるやつらが集まってもなにも生まない。

ドラマを生む為には、doが必要だ。
doには、必然的に、何故それをするのかという動機、
醸される物議、
それがどうなったかという結果、
それになんの意義があるのかという意味が、
付随する。
ついでに危険が伴うほど、ドキドキする。

それを決めて世に問うのがあなたの仕事だ。


be doneを垂れ流して主人公に代償行為を求めるのは間違っている。
メアリースーとはつまり、
男にとっては主観フェラAVの二時間垂れ流しで、
女にとっては主観クンニの二時間垂れ流しと同じである。
(LGBTの方は適当に読み替えてください)
もしあなたがメアリースーを書いて満足しているなら、
あなたは実生活でフェラやクンニをされ足りないだけだ。

僕が嫌いなメアリースーは、「かもめ食堂」の、
何故かみんなに拍手をされるシーンだ。
普段拍手をされていない、報われていない主婦たちが反応したという。
なんと不幸な。
妻に、母に、俺たちが拍手すればいいだけなのに。
みんな欲求不満なんだ。


しよう。されるな。
大人ののび太は黙ってろ。
posted by おおおかとしひこ at 12:24| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月22日

仕事でメアリースーにまた会った。

すごく詰まらないのび太症候群を、
三本も見せられて辟易した。
体力を奪われたので今日は更新できない。

posted by おおおかとしひこ at 22:18| Comment(2) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする