「自分を主人公にする」愚を避けるための方法論。
友達や、先輩、後輩、具体的な人間のモデルを、
あげられるようにしておく。混ぜてもいい。
自分と年齢の離れた主人公にするのも、
ひとつの方法だ。(離れすぎると、モデルが必然的に必要になるから)
自分と境遇の似ている異性は避けることだ。
結局自分を描いてしまうだけだから。
同性の別人をモデルにすると、
異性の自分を主人公にする愚を避けられる。
自分を主人公にしてはいけない。
これは再三注意している。
自分じゃない主人公にすると、
三年間片思いだった人に、簡単に、上手く、告白できる。
就職面接でも、ベストの受け答えをやってのける。
お婆さんや妊婦に電車の席を譲るなんて朝飯前だ。
駄目で勇気や自信のない自分じゃないからだ。
「誰か他の人」だからだ。
だから死ぬかも知れない緊張の中でも、
ベストパフォーマンスをし、
辛い思いにも挫けることなく、
どんな境遇でもモチベを保て、
絶体絶命のピンチをチャンスに変える機転を思いつくのだ。
これが自分ではとても出来ない。
自分は限界のある、所詮人間だからだ。
だから、主人公のモデルは?
と聞かれても答えられるようにしておくべきだ。
僕自身です、ではなく、誰か他の人を。
ただし、他の人がつくった人物をモデルにしてはならない。
パクリという問題だけではなく、
ダビングは劣化でしかないからだ。
最も新鮮なリアクションが出来るのは、
他の人の創作物ではなく、自分がつくった創作物である。
もうひとつ。
自分をモデルにすると、その作家は作家生命を失う。
他に書くべきことがなくなってしまうから。
あくまで、主人公には、誰か他の人のモデルがいる。
それが、映画を書き続けるコツである。
脇役のどこかに自分をモデルにした人物を入れるのは、
楽しい。行動や発言に大きな責任がない役がいい。
タランティーノは自作に時々出演するが、
その時も本筋に絡まない役が多い。
上手い自意識のコントロールである。
2014年05月01日
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