2014年05月01日

主人公は、誰がモデル?

「自分を主人公にする」愚を避けるための方法論。

友達や、先輩、後輩、具体的な人間のモデルを、
あげられるようにしておく。混ぜてもいい。
自分と年齢の離れた主人公にするのも、
ひとつの方法だ。(離れすぎると、モデルが必然的に必要になるから)


自分と境遇の似ている異性は避けることだ。
結局自分を描いてしまうだけだから。
同性の別人をモデルにすると、
異性の自分を主人公にする愚を避けられる。

自分を主人公にしてはいけない。
これは再三注意している。

自分じゃない主人公にすると、
三年間片思いだった人に、簡単に、上手く、告白できる。
就職面接でも、ベストの受け答えをやってのける。
お婆さんや妊婦に電車の席を譲るなんて朝飯前だ。
駄目で勇気や自信のない自分じゃないからだ。
「誰か他の人」だからだ。

だから死ぬかも知れない緊張の中でも、
ベストパフォーマンスをし、
辛い思いにも挫けることなく、
どんな境遇でもモチベを保て、
絶体絶命のピンチをチャンスに変える機転を思いつくのだ。

これが自分ではとても出来ない。
自分は限界のある、所詮人間だからだ。

だから、主人公のモデルは?
と聞かれても答えられるようにしておくべきだ。
僕自身です、ではなく、誰か他の人を。

ただし、他の人がつくった人物をモデルにしてはならない。
パクリという問題だけではなく、
ダビングは劣化でしかないからだ。
最も新鮮なリアクションが出来るのは、
他の人の創作物ではなく、自分がつくった創作物である。


もうひとつ。
自分をモデルにすると、その作家は作家生命を失う。
他に書くべきことがなくなってしまうから。


あくまで、主人公には、誰か他の人のモデルがいる。
それが、映画を書き続けるコツである。


脇役のどこかに自分をモデルにした人物を入れるのは、
楽しい。行動や発言に大きな責任がない役がいい。
タランティーノは自作に時々出演するが、
その時も本筋に絡まない役が多い。
上手い自意識のコントロールである。
posted by おおおかとしひこ at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック