目的のない人物が、物語の中にいてはならない。
ということは、目的ありきで、
物語を創作するやり方があってもいい。
ある目的を持つ人物をまず一人つくろう。
その目的をつくろう。
いつその目的を持ったのか。
目的を持ってから、今まで何をしてきて、
次は何を計画していて、
将来的にいつ頃その目的を達成するつもりなのか。
目的は、
将来ミュージシャンになりたい、という大きなものから、
このブツをばれないように倉庫に運び込む、という中くらいのものから、
会社に行くため電車に乗る、なんて小さなものまで、
色々な大きさや規模やタイムスパンがある。
そもそも何故その目的を持ったのか。
目的を持つ前は何をしていて、
何がきっかけでその目的を持つようになったのか。
それらの、目的に関するあらゆるリアリティーを詰めておこう。
これは、作者が感情移入しやすくするためである。
そして、全く別の目的を持つ人物を創作しよう。
物語は一人ではつくれない。
必ず二人以上の間で存在する。
全然別で、目的の大きさに差があってもいい。
Aは将来ミュージシャンになりたいが、
Bは今会社に遅刻しないために走っている、
という二人でも構わない。
それらが出会い、化学変化を起こすことが物語だ。
勿論二人でなく、三人以上の物語でもいい。
そこにCというピーマンアレルギーを克服したい男が加わってもいい。
三題噺のように、
これらの三人がいつどこでどうやって出会い、
どのような結末を迎えるか考えることは、
物語のトレーニングになるだろう。
ほとんどの演劇は、こうやって書かれているような気すらする。
目的の違う二人が出会ってどうなるのか。
その目的を果たすために相手を排除しなければならないのが、
コンフリクトという状況である。
コンフリクトは、目的が違うから起こるのである。
そして、コンフリクトこそがドラマの本体である。
目的が違う二人は、目的を修正するだろうか。
上手く共闘する道を見つける場合、それは味方を得る話になる。
妥協できず排除しかない場合、それは戦う話になる。
どちらにせよ、それがドラマの本体である。
これは二者間でのドラマであり、
三人目以上の人物が出てくると、
話は格段に複雑になる。
ABCのそれぞれの妥協点や譲れないところが出てくるからだ。
いずれにせよ、それぞれが納得の行く結末を迎えるまで、
物語は終わらない。
ハッピーエンドだろうがバッドエンドだろうが。
あなたは目的を持つ人物を生み出したら、
彼が納得の行く結末を用意しなければならない。
そして全員が納得の行く結末を用意しなければならない。
(途中で死ぬと、それを回避することが出来る。
だから途中の死は、ストーリーテラーにとって手抜きである)
そこに至る紆余曲折が、ストーリーである。
大抵の映画では、
本当はこうでありたいのだが、今はやむなくこうせざるを得ない、
という人物が登場する。彼が本当の自分になれるかも知れない、
何かきっかけがあったとき、彼は具体的目的を持つ。
(外的目的)
しかしそれは表面上の目的であり、
こうありたい自分を実現することが本当の目的だ。
(内的目的)
目的は重層的に存在する。
勿論、両方とも観客が把握できるように、物語は書かれる。
2014年12月07日
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