2014年12月07日

目的から考える物語の創作

目的のない人物が、物語の中にいてはならない。

ということは、目的ありきで、
物語を創作するやり方があってもいい。



ある目的を持つ人物をまず一人つくろう。
その目的をつくろう。

いつその目的を持ったのか。
目的を持ってから、今まで何をしてきて、
次は何を計画していて、
将来的にいつ頃その目的を達成するつもりなのか。

目的は、
将来ミュージシャンになりたい、という大きなものから、
このブツをばれないように倉庫に運び込む、という中くらいのものから、
会社に行くため電車に乗る、なんて小さなものまで、
色々な大きさや規模やタイムスパンがある。

そもそも何故その目的を持ったのか。
目的を持つ前は何をしていて、
何がきっかけでその目的を持つようになったのか。

それらの、目的に関するあらゆるリアリティーを詰めておこう。
これは、作者が感情移入しやすくするためである。


そして、全く別の目的を持つ人物を創作しよう。
物語は一人ではつくれない。
必ず二人以上の間で存在する。

全然別で、目的の大きさに差があってもいい。
Aは将来ミュージシャンになりたいが、
Bは今会社に遅刻しないために走っている、
という二人でも構わない。

それらが出会い、化学変化を起こすことが物語だ。
勿論二人でなく、三人以上の物語でもいい。
そこにCというピーマンアレルギーを克服したい男が加わってもいい。

三題噺のように、
これらの三人がいつどこでどうやって出会い、
どのような結末を迎えるか考えることは、
物語のトレーニングになるだろう。
ほとんどの演劇は、こうやって書かれているような気すらする。


目的の違う二人が出会ってどうなるのか。

その目的を果たすために相手を排除しなければならないのが、
コンフリクトという状況である。
コンフリクトは、目的が違うから起こるのである。
そして、コンフリクトこそがドラマの本体である。

目的が違う二人は、目的を修正するだろうか。
上手く共闘する道を見つける場合、それは味方を得る話になる。
妥協できず排除しかない場合、それは戦う話になる。
どちらにせよ、それがドラマの本体である。

これは二者間でのドラマであり、
三人目以上の人物が出てくると、
話は格段に複雑になる。
ABCのそれぞれの妥協点や譲れないところが出てくるからだ。

いずれにせよ、それぞれが納得の行く結末を迎えるまで、
物語は終わらない。
ハッピーエンドだろうがバッドエンドだろうが。

あなたは目的を持つ人物を生み出したら、
彼が納得の行く結末を用意しなければならない。
そして全員が納得の行く結末を用意しなければならない。
(途中で死ぬと、それを回避することが出来る。
だから途中の死は、ストーリーテラーにとって手抜きである)

そこに至る紆余曲折が、ストーリーである。


大抵の映画では、
本当はこうでありたいのだが、今はやむなくこうせざるを得ない、
という人物が登場する。彼が本当の自分になれるかも知れない、
何かきっかけがあったとき、彼は具体的目的を持つ。
(外的目的)
しかしそれは表面上の目的であり、
こうありたい自分を実現することが本当の目的だ。
(内的目的)
目的は重層的に存在する。
勿論、両方とも観客が把握できるように、物語は書かれる。
posted by おおおかとしひこ at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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