2014年12月19日

「脚本が書ける」とはどのようなことか

大きく、物凄く大きくふたつある。

「自転車に乗れる」と比較してみるとよい。


一般には、自転車に乗れるということは、
転ばずに漕げて、発進できて止まれればOKだ。

二人乗りとか曲乗りは出来なくてもいい。
僕の母の兄弟は坂道育ちなので、
事故を恐れた親が禁止した為、いまだに自転車に乗れない。

さて、自転車を使うということは、
物を運んだり、移動目的である。
○○へ行くことが大事で、自転車は手段に過ぎない。
自転車に乗れることは、
移動の手段であり目的ではない。

ところが、
「脚本が書けるようになりたい」と言う人に限って、
教えられれば名作連発になると勘違いしている。
「脚本が書ける」とは、「自転車に乗れる」のと同じ程度だ。
脚本が書けることと、名作が書けることはまた別である。
自転車に乗れるようになったからと言って、
日本一周することは誰にでも出来ることではないように。

脚本が書けるようになることは、
自転車に乗れるようになっただけだ。

そもそもどこへ行けばよいのか、
どこへ向かうべきか、
感じること、思いつくこと、決めること、計画すること、
実行すること、トラブルにあっても修正していくこと、
そして完遂することは、
自転車に乗れることとは、別の技能だ。


「脚本が書ける」技能なら、
誰にでもマスター出来る。
作文能力があれば、一日あれば大丈夫だ。
「小説が書ける」も同じだ。
原稿用紙の使い方さえマスターすれば明日からでも小説や脚本は書ける。

問題は技能ではなく作劇だ。
脚本に向く作劇、小説や漫画や舞台に向く作劇、
色々な作劇があるだろう。
共通する部分もあれば違う部分もある。
作劇とは、それらを考えながら生きることだ。
他の劇も研究したりして、
自分なりの作劇法を編み出していくしかないところだ。
オリジナルをつくるのに、その作り方なんてあるわけがない。


原稿用紙の使い方なんてガワだ。
1日でマスターしろ。それで脚本が書けると名乗ってもよい。

ただしプロとして「脚本が書ける」ようになるには、
十年、一生かかって、やるしかないのだ。
posted by おおおかとしひこ at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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