「あの件、どうなったんだっけ」
に関する、一本の線のこと。
映画においては、たいてい、数本のストーリーラインが同時進行する。
短いものなら一本のこともあるが、
おそらく最低二本ではないかと思う。
なぜなら、物語とは、
二人以上でなされるからである。
AとBの間にある何かが話である。
たとえばAには目的があり、何かをする。
するとBの邪魔になる。
Bにも目的があり、Aはそれが邪魔だ。
物語とは、これが双方が納得いくまで何かをすることだ。
(同意できる何かに達するか、互いを否定して放逐するかの、究極的には二択だ。
男女ならラブストーリー、同性なら敵と戦う話になるだろう)
たとえば反対側から歩いてくる二人が、
通りの真ん中で、お互い右にステップしてスムーズにかわすのはお話しではない。
Aが右に避けBが左に避け、お見合いしてしまうのがお話だ。
何度か同じことをやってからの、お互い右にステップしてことなきを得るか、
どちらかがどちらかをバックさせるのが、お話である。
その時点で、
そもそもAの目的は果たされたんだっけ、がAのストーリーラインで、
BのそれがBのストーリーラインになる。
つまり、計二本のストーリーラインになるわけだ。
AとBに関するストーリーライン、という数え方をしてもよい。
この場合一本、という数え方になる。
ただ、僕はこれを二本と数えたほうがいいと思う。
「目的」の数だけ数えたほうがよい。
Aがふたつ目的を持っていたら、A1、A2のストーリーラインと考えるとよい。
たとえば脚本添削スペシャル2015「ヤクザヘッド」では、
主人公公男は、「いじめを止めたいこと」と、
「自信が出来てアキラにガツンと言えること」の、
ふたつの目的があった。
(正確には重なり合うので、1.5本ぐらいという数え方かもね)
また、ヤクザの虎にも目的がある。
「勉強して大学に合格すること」だ。
さらにアキラにも目的がある。
「継母とうまくいきたい」だ。
(ここまで具体的でなく、もっとモヤモヤしたものだが)
「ヤクザヘッド」では、大きくは、A1、A2、B、Cの、
四本のストーリーラインがあると数えられる。
物語においては、それぞれが最初に全部語られるとは限らない。
A1、B、A2は一幕においてこの順で語られる。
Cはボトムポイントでだ。
そしてA1、A2、Cは、クライマックスの頭突き一発で解決する。
本当はBも解決するのがベストだろう。
そこまでうまくは書けなかった。
このように、物語を書くということは、
複数のストーリーラインを同時に扱うことなのだ。
下手くそな人は、一本か二本書くので精一杯だ。
元原稿「ヘッド・バッド・ティーチャー」ではそれが顕著だった。
A(アキラをぶっ倒すこと?)とB(大学合格)だった。
Aが曖昧なので、僕はA1、A2という、
内面的ストーリーライン、外面的ストーリーラインの二本
(重なりあうから、1.5本と数えるべきか)
に分解した。
これは、「流星の侍」でも同じだった。
河童のストーリーラインはあったが、
次郎丸のストーリーラインは曖昧だった。
ストーリーラインを意識すると、
何を解決するんだっけ、ということに注力出来るようになる。
それをいくつなのか数え、
それぞれに面白い展開を用意したり、
バラバラに進んだり、
同時に展開したり解決したりを考えることが出来るようになる。
あまり上手じゃない人は、
目的のない人物を出してしまい、
その結果その人が「出てるだけ」になってしまう。
「ヘッド・バッド・ティーチャー」では、アキラはただ頭突きされるためだけに出てくる役でしかない。
脚本添削スペシャルの最後あたりの記事で触れたのは、
どの人物から見ても、それぞれのストーリーラインが不自然でないことだ。
物語は、ひとつの問題が展開し、解決するだけではない。
複合的な問題が次々に生まれ、次々に絡んで展開することだ。
恐らく現実よりも、分かりやすくてドラマチックにはなっているだろう。
ストーリーラインは、その骨のひとつの単位だと思うとよい。
2015年05月07日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック

