2015年05月12日

見世物と意味

「美少女の完璧スタイル」
「みんなで作り上げた一大イベント!」
「あの動物にこんな可愛い面が?」
「スゴ技特集」
「驚きの合成なし映像トリック」
「お得情報」
「新曲披露」
「賞をとったほどの凄い芸」
これらは、全て見世物のことである。


僕の言う、ガワのことである。

見世物には意味がない。
それを見るためにみんな集まるが、
終わったら帰っていく。
その時間は夢中になるが、
その客は確実に退いていく。
勿論、リピーターもいる。
今、リピーターの多いひとが人気タレントと呼ばれる。

しかし、見世物には意味がない。
人気美少女は眺めて面白いが、
それが俺の人生にもたらす意味はない。
(活力はくれる)
見たいものだが見たら終わりである。リピートすることはある。


しかし、物語は見世物だけではない。
勿論見世物要素はある。
そうでないと見てくれない、地味なものになるから。

しかし物語の本来の芯は、意味にある。

何故この物語が存在するのか、という意味が。


それを、テーマと言う。
「見たもの」をモチーフといい、
「見たものが意味すること」をテーマという。
見世物はモチーフで、その奥の意味がテーマだ。

人は、見世物を見ただけなら、ああ良かったと中身を忘れる。
印象という記憶に圧縮される。
しかし、意味のある物語を見たとき、
印象とともに、これはどういう意味だったかと、
意味とともに記憶する。

風の谷のナウシカは、
蟲たちのうごめいたり、メーヴェの浮遊感を楽しむ見世物であったと同時に、
人と自然の関係を問い直したり、
愚かな人々の揶揄を込めた、物語としての意味があった。
だから傑作だ。



ネット時代になって、情報がますます点になる。
線のものは歓迎されない。点のほうが楽だから。
点だけを追っていくと、意味が解体される。
見世物ばかりになるからだ。

見世物を責めているのではない。
見世物は楽しいし必要だ。
見世物の跳梁跋扈に対して、意味のあるものが追いやられていることに、
警鐘を鳴らしたいのだ。


それは何の意味があんの?
僕は詰まらない話を聞いたとき、必ず言う嫌なおじさんになっている。
意味なんてない、ただ楽しいことを共有したかったからだ、
と割り切れる人も減った。
それは、意味のある物語を見た経験が少ないからではないか、
と最近思うようになってきた。

意味のある物語、なんて、本来二重言葉だ。
それが、意味のある物語と意味のない物語(形式の見世物)に分化して、
前者が難しくて扱いづらいものと思われている、
その現状が問題だ。

意味のある物語をたくさん見て、
笑ったり泣いたり、人生はこうあるべきだと影響を受けたり、
今の人はそういう経験が減っているのだろうか。
それとも僕が脚本とは何かを知りたくて、
沢山沢山名作を見すぎて、
意味のある物語の経験値が違いすぎるのだろうか。
なんだか両方の結果のような気がしている。


僕のオールタイムベストはもう書いた。
それは自分の人生に影響を受けた映画の影響度順でもある。
全ての映画を見ることは出来ないし、
僕も名作全てを見たわけではない。
いつか俺傑作選を作ろうと思って、まだ着手していないが、
そのうちやるかも知れない。

なんかね、ネットは見世物は沢山転がってるんだけど、
意味のある物語は、なかなかないんだよね。
それは有料の世界になってて、
そのリスクを払うには、それをちゃんとした解説がなさすぎるんだよね。

ガチャみたいに、小銭をただ巻き上げられてる感覚。
本当に意味のある物語なら、いくらでも払うのに。


あなたが書くのは、単なる見世物か。
何か意味のある物語か。
その意味は、誰にとっての価値になるのか。
そんなことを、引いた目線で見るのはとても良いことだ。
文才があれば、
それをキャッチコピーにしてみるのも手だ。

「闇にかざすのは、炎だ。」(てんぐ探偵)
「私ね、きみが大人になる日を見に来たの。」(いけちゃんとぼく、最近書いたコピー)
は、なかなか気に入っている。
それが見世物であるように書くのが、いいコピーだと思う。
見世物の「内容」が、テーマになるのだから。

風魔のコピーを書いたことがなかった。
「アイツは、まだ私の心に風を吹かせている。」かな。
風魔って、最初から何だか悲しみを含んでいるんだよねえ。
posted by おおおかとしひこ at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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