大岡式には、テーマとは、
「PはQである」という命題形式で書ける、
という説をとなえている。
この命題がカバーする範囲が、
テーマの深さになると思う。
「ロッキー」のテーマはなんだろう。
この形式に従うと、
「自分が何者か証明出来れば、堂々と出来る」だと思う。
命題形式のように、条件と結果をペアにするのだ。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は?
実は上と同じだ。
ほんと?
自分の両親のことを知ることでルーツを知り、
しかも自分の夢であるギターで問題を解決出来たことで、
この映画は、自分のアイデンティティーを確定させる映画なのだ。
堂々と出来るからこそ、
彼女の待つ未来(彼女の電話番号が書かれたビラの時計台落雷経由で)
へ帰るのだ。
実は、多くのアイデンティティーを扱う映画では、
テーマは殆どロッキーと同じものに集約できる。
ドラマ「風魔の小次郎」も同じである。
「絆を重視し、人に暖かい風を吹かせる新しい形の忍びになること」
のように表面的に書き下すことは可能だけれど、
「自分が何者か証明出来れば、堂々と出来る」
とその奥の本質を命題形式で表現することは可能だ。
絆や暖かい風や新しい形の忍びは、
本質の具体表現に過ぎない。
つまりこの作品は、三本とも同じテーマを描いている。
ボクシングの世界戦と恋人を愛していること、
両親のルーツとギターの才能のこと、
絆や忍びのこと、
という表面的な具体物(モチーフ)は異なるが、
主人公のアイデンティティーが確定して、
それによって成長することを描いている点では同じだ。
一般に、これらは、「アイデンティティーをテーマにする」などと言われる。
名詞形でテーマを言うことの危険性について既に書いた。
アイデンティティー、と一単語でとらえてはならない。
アイデンティティーがどうなのか、をとらえるべきだ。
「アイデンティティーが確定すると人は成長する」と、
「アイデンティティーが崩壊すると人は信用されない」は、
全く違う、アイデンティティーをテーマにした映画ということになってしまうからである。
「ルパン三世カリオストロの城」は?
「昔の失敗の決着をつけて、過去と決別を選ぶ」である。
大人の苦い決断だ。
この映画が特別「大人の香り」がするのは、
クラリスと別れを選ぶことである。
クラリスは子供だ。
体は大人に近いが、大人の世界を何も知らない子供だ。
彼女の望みを叶えないことで、
ルパンは子供時代に決別するのである。
泥棒家業の今の自分を肯定することは、
クラリスの聖性と矛盾する。
子供時代に戻ることは出来ないから、
ルパンは今の自分を肯定したのである。
つまり、クラリスは過去に属するのだ。
これもアイデンティティーに関する物語のひとつだ。
アイデンティティーを清算する、というジャンルだろうか。
アイデンティティーに関する映画は、とても人気である。
それは、人はアイデンティティーが定まらないからだ。
大枠は定まっても、常に揺れているからだ。
それが定まる物語を見ると、スッキリする(カタルシスを味わう)
のである。
アイデンティティー以外のテーマはどうだろう。
勧善懲悪はよくある。
殆どの話はそこに属するかも知れない。
それは、正義や悪が定まらない部分をモチーフにするからだ。
これは悪なのか、正義なのか、分からない所を事件にし、
やはりそれは悪だ、正義の鉄槌を、
と、揺れる価値を定めるから、スッキリするのである。
ラブストーリーはどうだろう。
ラブストーリーが女に人気なのは、
「愛されること」が女のアイデンティティーになるからだと僕は思う。
「愛される自分」というアイデンティティーの確定の仕方が、
女にとってのアイデンティティー映画になると考える。
もっとも、これは古い型の女のアイデンティティーであり、
新しい型の女のアイデンティティーはありうる。
例えば「デンジャラス・ビューティー」や「アナと雪の女王」などがそうだ。
これは第一の型と同じタイプのテーマである。
(でも一応イケメンゲットで、恋も仕事も!になってしまうけどね)
21世紀の現代では、
古い型の女のアイデンティティーと、
新しい型の女のアイデンティティーが、あいなかばしていると思う。
少女漫画の最前線にいないのでそこまでよく知らないが、
新しい型のアイデンティティーで人目をひいて、
やっぱり古い型のアイデンティティーで安心する、
というスタイルがモダンな気がする。
気がするだけで違ったらごめんなさい。
男だってラブストーリーは好きだ。
それは、相手との距離がテーマになるときだ。
誰かと心を通わせること、友情かラブかの違いになる程度で、
E.Tとラブストーリーは、モチーフが違うだけで、
男にとっては同じテーマである。
「心を通わせれば、深い絆が得られる」である。
だから男にとってのラブストーリーは、
自分の固い衣を脱いで素直になることが、
最大の障壁になることが多い。
さて本題。
テーマの深さの計り方。
深いテーマと浅いテーマは、何が違うのだろうか。
それは、テーマのカバーする範囲の広さだと思う。
その命題が成立する前提条件の、空間の大きさ、
のイメージ。
小さなテーマで僕がよく出すのは、
「一日の仕事明けのビールは、旨い」である。
ビールのCMは、基本的にすべてこのテーマを扱う。
仕事明けがなく、単に旨い飲み物だとするビールのCMは、
ストーリーではない。
PならばQになっていないから、最近のビールのCMは、どうでもいいのである。
この小さなテーマで1分や3分を書くのはとても勉強になるので、
やってみるのはとてもいい。
大きなテーマは、
たとえば「心の闇とは、○○のことである」だ。
小説「てんぐ探偵」は、そこにまだ明解な答えを出せていない、
完全に完結した作品ではない。(続ける気満々ではある)
前記事で例に出したガラスの仮面のテーマ、
「演技とは、○○のことである」は大きな深いテーマだ。
(一応、
演劇とは仮面を被ることだと一般には思われているが、
そうではない。役者のそのままが出てしまうのだ。
彼らが被る仮面は、ガラスで出来ている、
とても繊細で、しかも本人を透けて見せてしまう、
恐ろしいものである、
というような意味がこめられているように話が組み立てられている。
それがどのような結論に導かれるかは、
最終回待ちなのだが)
読んだことないけど、きっとドストエフスキーの「罪と罰」は、
罪と罰とは○○である、という事に最終的に落ちる話だろう。
これも大きなテーマだ。
深いか浅いかは、
このような、テーマが適用できる範囲の広さのような気がする。
具体的な個人の話から、
類推できる抽象的な意味の大きさ、というべきか。
ビール一杯の幸せレベル、
人間個人や関係性のレベル、
概念の定義レベル、
と三つの深さ、広さについて例をあげたので、
あとは大体その間にいるだろうと、想像してください。
テーマの大きさ(深さ)と、尺のズレを考えるとき、
自分が書いたテーマと尺、
他人の書いたテーマと尺、
などが基準になるだろう。
これぐらいのテーマをこれぐらいの尺で書いている、
という車幅感覚のようなものだ。
これは、沢山の経験からしか導かれない感覚だと思う。
沢山書いて、沢山映画やその他の物語を見て、研究した上での、
感覚だと思う。
習作の時間が短いと、テーマの深さの計り方を間違える。
習作の時間が長いと、テーマの深さを知りすぎて、無茶をしなくなる。
習作の時間を長くとり、常に冒険するやつが、本物だ。
2015年09月09日
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