窓辺系だろうが、女子高生と海へ行く系だろうが、
メアリースーはいつでもどこにでも現れる。
それは、あなたが不幸で認められていないからである。
根本的にあなたは認められていないから、
創作をするのだと思う。(リア充は脚本を書かない)
では、メアリースーはいつでも現れる前提に立つとすると、
こういう問いは可能だ。
つまり、あなたは自己承認以外の、何を本当に書きたいのだろう?
それがないから、メアリースーに取り憑かれるのではないか?
とある小説の新人賞の評を見ていたら、
「9割以上の応募者が、本当に書きたいことがないと思う」
とあった。
そうかも知れない。
創作のはじめは真似事だ。
作りたいものがあるというよりは、
作ること自体が楽しい。
ある好きなものを、真似て作るだけで楽しい。
ファンの段階だ。
それが高じてくると、自分なりに変形アレンジしはじめる。
二次創作は、このへんだろう。
さらに高じてくると、自分なりの変形アレンジが、
本家をこえはじめる。
そのとき、何かの真似を捨てる日が来る。
じゃ、真似しないオリジナルは何だ、
と自分のなかに問わなければならなくなる。
モチーフは答えられそうだ。
僕はヒーローもののモチーフは大好きだし、
純粋な恋愛というモチーフも大好きだ。
メカものもいつかやりたい。
だけど、モチーフの話をしているのではない。
本当に書きたいテーマのことである。
たとえば、「正義は勝つべきだ、勝たなければならない」
と本気で思う人は、
多分作家じゃなくて弁護士になるかも知れない。
(大学で同期だった山下くんは弁護士になれたんだろうか。
名前でググっても出てこないので心配だ)
たとえば、「愛こそすべてだ」
と本気で思う人は、
作家じゃなくて宗教家やヤリマンになるかも知れない。
本気で何かを思うなら、
人は何かを書かなくて、その事に一生を捧げるかも知れない。
その事に一生を捧げず、
あなたが作家としてそれを書くのは何故だろうか。
僕は、弁護士になるよりも、
正義の実現をストーリーの形で訴えて、
弁護士よりも多くの人に正義が勝つことを信じさせることが出来る。
僕は、宗教家になるよりも、
愛が全てのストーリーをつくって、
宗教家よりも多くの人に、愛の大切さを信じさせることが出来る。
だからストーリーを作っている、と考えている。
僕の考えが絶対唯一の真実ではない。
あなたなりの答えを用意して欲しいだけである。
あなたに、本気で思うテーマはあるだろうか。
それを見つけていないから、
自己承認にしか興味がないのではないか。
テーマ探しは自分探しと似ている。
そんなもの探して見つかるものではない。
自分から本気で湧くまでは、
あなたは習作しか書けないだろう。
本気で思っていないテーマを、
技術的に書けるようになる練習をするだろう。
それは、肉体的トレーニングとして、
筆のスペックを上げる上では大変よい。
しかし、そもそも何を本気で思って、
何を本気で書きたいかに出会わない限り、
作家にはなれないと思う。
本気で書きたい何かが、自己承認しかないから、
メアリースーしか生まれないのだ。
あなたは何を書きたいのか?
自己承認以外に興味があり、本気で訴えたかったり、
主張したいことがあるのか?
あれば、あなたは習作を越えてプロになる資格がある。
なければ、あなたは自己承認欲求を満たすメアリースーの物語か、
物真似の領域の物語しか書けない。
厳しいようだけど、
書きたいものがないやつが、いくら脚本の勉強をしても無駄だ。
脚本を書けるカッコイイオレになりたいだけだろ?
本気で書きたいがどうしていいか分からない奴の為に、
ここでは書いているつもりである。
自己承認欲求は誰にでもあるし、
創作を目指す人は他の人の10倍以上あるだろう。
それに自覚的になれば、
自己承認以外にあなたの書きたいもの(モチーフでなく、テーマ)が、
見えるかも知れない。
2015年09月12日
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