2015年09月13日

タイトルとテーマ(アンフェア批評3)

もうひとつ気になったものがあるので、
アンフェア批評追加。

「アンフェアなのは誰か?」は、
ドラマ当初、よく使われた扇情的ワードだった。
この答えは、完結編に至るまで、結局出なかった。

このモヤモヤがずっと残るのがこの作品のアイデンティティーなのか?


アンフェアというタイトルからは、
フェアという対義語が連想される。

つまり、この物語は、
フェアとアンフェアの間で行われる話であるべきだ。

例えば、ギャンブラーの話でアンフェアというタイトルなら、
これはインチキをするギャンブラーの話ということになる。

フェアな確率論だけで闘う誰かと、
インチキをしてチートする誰かの話になる。
そこで、人生こそアンフェアなのだという結論になる話か、
それでもフェアに生きることが正しいという結論になる話の筈だ。


さて、刑事物のアンフェアだ。
何がアンフェアで何がフェアなのか?
それが全く不明なのだ。
正しい手順で正しい捜査をするフェアなやり方ではなく、
裏の手段を使う非合法刑事、
という意味ではなかった。
フェアな組織ではなく、警察とは非合法な巨悪であった、
というのを匂わせたが、
その結論はフェア/アンフェアの軸には乗ってこなかった。

「裏切りがあり、誰も信じられない」ことが、
中盤以降の特徴にはなったが、
フェアが人を信じることで、
アンフェアが人を裏切ることや不信では、
一般的にはない。

アンフェアにはアンフェアを、
と常に雪平は言うが、
不正行為には不正行為で、というほど、
雪平は不正行為をしていない。
目には目を、歯には歯を、ほどではない。

ここが、ダーティハリーのようなスカッとする部分がない所だ。


つまり、アンフェアは、やろうとした理想の内容で、
実際に出来上がったのは、
裏切りにつぐ裏切りの傑作ドラマだったが、
アンフェア/フェアというテーマには切り込みきれず、
その残り火で何度もそこに立ち向かったが、
ついには、
オバサンの孤独で終わってしまったという、
理想倒れだったのである。


タイトルとテーマは、関係する。

アンフェアの出来上がった作品からは、
何のテーマも伝わってこない。オバサンの孤独という本質は見える。

アンフェアというタイトルは、テーマを込めようとした形跡がある。
出来上がったのは、砂上の楼閣にすぎなかった。


名作漫画「タッチ」は、元々「バトンタッチ」の意味を込めたそうだ。
しかしアニメ監督が「心のふれあい」のタッチの意味を込め、
いつになったら二人の心はふれあうのか、
という意味の主題歌を作らせた。
このダブルミーニングで、ようやくタッチというタイトルは、
テーマを表す言葉になったと僕は考えている。

アンフェア(ドラマ版)は、
看板と料理は異なったが、料理は新しく、旨かった。
アンフェア(ドラマ以後)は、
看板は立派だが、中身のなかった、
羊頭狗肉であったのだ。



僕は、ここに至って、
80年代後半のトレンディドラマから発生した、
ドラマの終焉を見たような気がした。
トレンディドラマは、出始めの頃、
中身のないファッションだと否定された筈だ。
看板ばかり豪華で料理の中身がすかすかだと。
当時の脚本家たちは、映画業界からあぶれた、
気骨ある人たちばかりだった。
それがフワッとしたトレンディドラマに駆逐されていったのだ。

月9やらその他のフジテレビ中心の、
オシャレドラマ(それは女性の社会進出と、軌を一にする)ドラマの時代は、
こうして、オバサンの孤独に、終わったのではないかと思う。
たとえば鈴木保奈美や有森也実は、今どうしているかだよ。
まあ、かもめ食堂みたいな、オバサンの生き方ドラマもあるかもだが。


テーマを描くという、ドラマ本流に戻るのか、
さらにぐだぐだになるのかは、時代の鄒勢次第だが、
月9のダメっぷりを見る限り、
フジテレビごと沈没していこうとしているのかも知れないね。
posted by おおおかとしひこ at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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