2015年09月14日

エレガントな構成は、疑え

脚本は油絵だと思う。
何回も重ね塗りしたり消したりして完成させるものだ。
水彩画や書のような、一発がきでないことは確かだ。

そういう性格のものだと知っていると、
最初に一発でエレガントな構成になったりすることは、
疑ったほうがいい。
多分、最適解ではない。



構成というものは、
その形にはめるために物語を作るのではなく、
流れを考えに考えて、
対比や伏線や、内外のバランスや捻りを考えて、
起伏やたるいところや急ぎすぎてる所を考えて、
練りに練った上でたどり着くものだ。

つまり、0から書くときの完成予想図なんて、
大抵目標に過ぎなくて、
実際書き終えたものは、それとは大分遠いものが出来ていて、
それをリライトして練っていく過程で、
自然に構成という何かしらの秩序へ収束していくものなのである。

つまり構成は結果であり、原因ではない。


シドフィールドが、
第一と第二ターニングポイントしか明記せず、
あとはスカスカな理論を作ったのも、
昔は理解できなかった(もうちょっと指針はないのかよ)が、
今は分かる。

話を練れば練るほど、
退屈を切り急ぎすぎを粘り、
面白く起伏をつければつけるほど、
三幕構成のバランスに(無意識に)近づいていくのである。
これは経験上の話だ。

執筆経験が沢山あるからそうなるのか、
沢山名作を見ていて、そのリズムが身に染みているからかは不明だ。
あるいは生理的なリズムかも知れないが。


最初からこれを目指すのではなく、
練った末にたどり着いたらこれだった、
というのが構成のバランスだ、というのが正しいプロセスのような気がする。


だから、最初にエレガントな構成を引いて、
そのコンセプト通りに作る、
という、一見エレガントなやり方は、
僕は間違いを起こすと忠告する。

建物の設計や音楽の設計ならそうなのかも知れないが、
ことシナリオについては、そうはいかないと思う。
何故なら、構成よりも、
その文脈での焦点や感情のほうが、大事だからだ。
それに注目しているうちに話がどんどん進む方が、大事だからだ。
それを大規模構造で見たときに、三幕構成になっているよ、
というレベルでしか、構成の意味はないのである。


まだ書かないうちに、
最初にエレガントな構成が引けたら、
それはむしろ危険信号と考えよう。
何故なら、その構成コンセプトに溺れて、
焦点や感情の行方といった、一番大事なミクロ部分がないがしろにされるからだ。
ストーリーは砂かぶり席で見るものであり、
構成コンセプトを見るものではない。



というのも、
今、てんぐ探偵を16話の自選集にまとめ直しているのだが、
エレガントに構成してやったぜ、
という俺のどや顔が見え隠れして、
シンイチの思いや、読者目線での感情移入の流れに、
なりきれていないことに気づいたからだ。
エレガントな構成をプレゼンされた気はしたが、
本編を十二分に堪能した訳ではなかった、
という感じだ。

本編を練って、最終的にエレガントな構成になるのなら、
それも良し。
エレガントな構成にならなくても、
本編の流れが最高なら、それも良し。
良くないのは、構成倒れで、本編がいまいちな時だと思う。


エレガントな構成は、疑え。
コンセプト倒れで、実質がないかも知れないぞ。

たとえば「フォールーム」は、
「ホテルの4部屋で起こるドタバタ」というコンセプトのほうが面白く、
実際はそうでもない。
「グランドホテル」は、その元ネタで、
「あるホテルに宿泊している色々な部屋で起こるドタバタ」というコンセプトが一番面白く、
実際はそこまででもない。
同様にこれを元ネタにした「有頂天ホテル」も、
豪華キャストや変人ばかりというコンセプトが面白く、
実際はそこまででもない。

人はコンセプトを見るのではない。
人々の感情や行動で泣き笑いし、テーマを感じる為に見るのだ。

構成のコンセプトなんて、たいした威力を持たない。
(ただ、プレゼンばえをするので、
製作に入りやすい)
エレガントな構成は、酔いやすいということだ。
posted by おおおかとしひこ at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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