台詞は目の前の相手に言うのではない。
相手に言いながら、観客にも言っている。
状況設定する台詞などは、特にそうだ。
相手に状況を説明するふりをして、
これは殆ど観客に説明しているのだ。
以後この説明は二度と出ずに絵だけで進めますので、
ここで理解しといてくださいね、
というようなことは、
割と丁寧に台詞で(時に絵も使いながら)説明しておく。
作戦会議などを思い出せばよい。
このブリーフィングが終われば即説明なしの実戦だ。
たとえば。
この部活はどういう部活ですか?
に対する答えは、
これからのストーリーに必要なことが入っているはずである。
重要なことは、説明はひとつの要素だけに限ることだ。
「この部活は、あやしい写真を撮る部です」
と言ってもいいけど、
「この部活は、あやしい写真を撮ったり、部活レクリエーションのさかんな部です」
と言ってはいけない。
覚えられないからだ。
もし二つがほんとに重要ならば、台詞は変わってくる。
「この部活は妙な部でしてね。二つのことを同時にやるのです。
最初は戸惑いますが、やがて二つ同時の妙味が分かって来るでしょう。
ひとつはレクリエーションが盛んなこと。でもこれはどこの部もそうかもですね。
二つ目が肝です。あやしい写真を撮るのです」
のような表現になってくるだろう。
二つを言うならば対比させつつ、その対比の上位概念提出もしておく。
上位概念で統合し、結局説明をひとつの塊にするのがコツだ。
説明は短いことが正しいとは限らない。
ひとつのものに概念を落としこむことが、
僕は正しいと思う。(多少長くなったとしても)
さて、以前の記事で議論したが、
人は知らないものが出てくると緊張するのであった。
知らない不安を煽り、
説明をきちんとすれば、
安心して緩急がつく。
説明の下手な人は、みっつ下手な可能性がある。
説明を集中して聞きたくなる状態に持っていくのが下手なこと。
説明そのものが下手なこと。
何を説明されたら人は安心するかを知らないこと。
逆に、説明の上手な人はこれを逆算でやる。
安心を奪い不安にさせ、
詳しく知りたくなる飢餓状態にさせたうえで、
スパッと説明を終え、ひとつにまとめる。
安心を味わったら、次はまた危機がやってくる。
そういう起伏をつくることと、
説明とは、実は不可分の存在なのだ。
説明は、登場人物が登場人物に言っているふりをして、
登場人物が観客に言っている。
それが意識出来ているなら、
今あなたは観客をコントロール出来ている
(可能性が高い)。
2015年10月01日
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