2015年10月01日

台詞は、半分以上観客に言っている

台詞は目の前の相手に言うのではない。

相手に言いながら、観客にも言っている。


状況設定する台詞などは、特にそうだ。
相手に状況を説明するふりをして、
これは殆ど観客に説明しているのだ。

以後この説明は二度と出ずに絵だけで進めますので、
ここで理解しといてくださいね、
というようなことは、
割と丁寧に台詞で(時に絵も使いながら)説明しておく。

作戦会議などを思い出せばよい。
このブリーフィングが終われば即説明なしの実戦だ。


たとえば。

この部活はどういう部活ですか?
に対する答えは、
これからのストーリーに必要なことが入っているはずである。

重要なことは、説明はひとつの要素だけに限ることだ。
「この部活は、あやしい写真を撮る部です」
と言ってもいいけど、
「この部活は、あやしい写真を撮ったり、部活レクリエーションのさかんな部です」
と言ってはいけない。
覚えられないからだ。

もし二つがほんとに重要ならば、台詞は変わってくる。
「この部活は妙な部でしてね。二つのことを同時にやるのです。
最初は戸惑いますが、やがて二つ同時の妙味が分かって来るでしょう。
ひとつはレクリエーションが盛んなこと。でもこれはどこの部もそうかもですね。
二つ目が肝です。あやしい写真を撮るのです」
のような表現になってくるだろう。

二つを言うならば対比させつつ、その対比の上位概念提出もしておく。
上位概念で統合し、結局説明をひとつの塊にするのがコツだ。

説明は短いことが正しいとは限らない。
ひとつのものに概念を落としこむことが、
僕は正しいと思う。(多少長くなったとしても)



さて、以前の記事で議論したが、
人は知らないものが出てくると緊張するのであった。
知らない不安を煽り、
説明をきちんとすれば、
安心して緩急がつく。

説明の下手な人は、みっつ下手な可能性がある。

説明を集中して聞きたくなる状態に持っていくのが下手なこと。
説明そのものが下手なこと。
何を説明されたら人は安心するかを知らないこと。

逆に、説明の上手な人はこれを逆算でやる。
安心を奪い不安にさせ、
詳しく知りたくなる飢餓状態にさせたうえで、
スパッと説明を終え、ひとつにまとめる。
安心を味わったら、次はまた危機がやってくる。

そういう起伏をつくることと、
説明とは、実は不可分の存在なのだ。



説明は、登場人物が登場人物に言っているふりをして、
登場人物が観客に言っている。

それが意識出来ているなら、
今あなたは観客をコントロール出来ている
(可能性が高い)。
posted by おおおかとしひこ at 14:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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