漫画によくあるこの演出は、
映像でやると寒い。
なんでだろう。
それは、映像においては、
「動いているものに意味があり、
動かないものには意味がない」からである。
ポスターやCMのキャッチコピーは、
空や絵の中の空白に入れるものだ。
読みやすさということもあるけれど、
空白に入れることで、
漫画でいう、空にモノローグと同じ効果がある。
空にモノローグを入れるのは、
漫画においては、音ではなく「文字」であることに注意しよう。
つまり、モノローグという文字をどう見せるかという、
視覚的なデザインなのである。
だからモノローグの背景は、
ごちゃごちしている風景よりも、
空や黒味なとの単純な背景が選ばれやすいのである。
視覚的な見せ方、というデザインなのである。
映像はそうではない。
モノローグは視覚的文字ではなく、
語りという音である。
モノローグという音声と視覚的風景は独立している。
絵と音の組み合わせの妙こそが、
映像表現というものだ。
空や黒味にモノローグは、
その組み合わせを放棄している、下手のやることなのだ。
映像というものは、
動かないものには意味がない。
一見風景のような、
たとえば魚市場だったとしても、
人々が活気に溢れているという動きがある。
都会の朝という風景ショットでは、
誰もいないなか、カラスがゴミ箱をあさる動きをするものだ。
住宅街の朝なら、誰もいないなか、
新聞紙を配るカブや、ランニングをする人が一人だけいて、
朝を表現するものである。
海辺という風景ショットでも、
波は動き、地球の循環を暗示するものだ。
映画において、動いていないものはない。
動くものに意味は多少なりとも存在し、
それをモンタージュしていくのが編集である。
その原則に反し、空や黒味を繋ぐことは、
「ここは動いていない、時間停止である」を意味する。
空や黒味にモノローグを乗せるのは、
従って、時間停止しか意味しない。
ところがモノローグは大抵大事なことを言うため、
時間停止の絵と相反してしまうのだ。
漫画においては、文字を見せるレイアウトにすぎない。
映像においては、時間を進める絵にモノローグを乗せるべきだ。
下手な例をふたつ。
糞実写進撃の巨人の、「駆逐してやる」。
エレンが巨人に食われ、暗転して。
この暗転は気を失った表現か?
モノローグを言うのだからそうではない。
映像的には気絶の表現(時間停止)だし。
マンガっぽい演出をした、下手くそとしか思えない。
映像表現ならば、
胃の中で溶かされ、たとえば口を溶かされて喋ることも出来なくなったエレンに、
モノローグが被さり、その直後暗転、
巨人が爆発し、腹の中からエレン巨人登場、
という流れが普通だ。
そのカット割を知らないのなら、やはり演出が下手なのだ。
もうひとつ、実写タッチのラスト。
「上杉達也は、浅倉南を愛しています」
この最も大事な台詞を、糞犬童一心は、空にモノローグを重ねやがった。
マンガ演出とでも言いたいのだろうか。
こここそ、オンリップできちんと撮るべきところだろ。
勝負の結論の所なのに。
マンガ演出では、モノローグはいわば勝負の所に持ってくる。
ポスターやCMのキャッチコピーもだ。
映像では、勝負の所は、オンリップが常識だ。
その人が、直接、面と向かって、言うことが、
一番大事だ。
空や黒味にモノローグを乗せるのは、
少なくとも映像的には、勝負が怖くて逃げているのである。
2015年11月02日
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