2015年11月02日

黒味や空にモノローグを乗せるのは、下手な演出

漫画によくあるこの演出は、
映像でやると寒い。

なんでだろう。
それは、映像においては、
「動いているものに意味があり、
動かないものには意味がない」からである。



ポスターやCMのキャッチコピーは、
空や絵の中の空白に入れるものだ。
読みやすさということもあるけれど、
空白に入れることで、
漫画でいう、空にモノローグと同じ効果がある。

空にモノローグを入れるのは、
漫画においては、音ではなく「文字」であることに注意しよう。
つまり、モノローグという文字をどう見せるかという、
視覚的なデザインなのである。

だからモノローグの背景は、
ごちゃごちしている風景よりも、
空や黒味なとの単純な背景が選ばれやすいのである。
視覚的な見せ方、というデザインなのである。


映像はそうではない。
モノローグは視覚的文字ではなく、
語りという音である。
モノローグという音声と視覚的風景は独立している。
絵と音の組み合わせの妙こそが、
映像表現というものだ。
空や黒味にモノローグは、
その組み合わせを放棄している、下手のやることなのだ。

映像というものは、
動かないものには意味がない。

一見風景のような、
たとえば魚市場だったとしても、
人々が活気に溢れているという動きがある。
都会の朝という風景ショットでは、
誰もいないなか、カラスがゴミ箱をあさる動きをするものだ。
住宅街の朝なら、誰もいないなか、
新聞紙を配るカブや、ランニングをする人が一人だけいて、
朝を表現するものである。
海辺という風景ショットでも、
波は動き、地球の循環を暗示するものだ。

映画において、動いていないものはない。
動くものに意味は多少なりとも存在し、
それをモンタージュしていくのが編集である。

その原則に反し、空や黒味を繋ぐことは、
「ここは動いていない、時間停止である」を意味する。

空や黒味にモノローグを乗せるのは、
従って、時間停止しか意味しない。

ところがモノローグは大抵大事なことを言うため、
時間停止の絵と相反してしまうのだ。



漫画においては、文字を見せるレイアウトにすぎない。
映像においては、時間を進める絵にモノローグを乗せるべきだ。

下手な例をふたつ。
糞実写進撃の巨人の、「駆逐してやる」。
エレンが巨人に食われ、暗転して。
この暗転は気を失った表現か?
モノローグを言うのだからそうではない。
映像的には気絶の表現(時間停止)だし。
マンガっぽい演出をした、下手くそとしか思えない。
映像表現ならば、
胃の中で溶かされ、たとえば口を溶かされて喋ることも出来なくなったエレンに、
モノローグが被さり、その直後暗転、
巨人が爆発し、腹の中からエレン巨人登場、
という流れが普通だ。
そのカット割を知らないのなら、やはり演出が下手なのだ。

もうひとつ、実写タッチのラスト。
「上杉達也は、浅倉南を愛しています」
この最も大事な台詞を、糞犬童一心は、空にモノローグを重ねやがった。
マンガ演出とでも言いたいのだろうか。

こここそ、オンリップできちんと撮るべきところだろ。
勝負の結論の所なのに。



マンガ演出では、モノローグはいわば勝負の所に持ってくる。
ポスターやCMのキャッチコピーもだ。

映像では、勝負の所は、オンリップが常識だ。
その人が、直接、面と向かって、言うことが、
一番大事だ。

空や黒味にモノローグを乗せるのは、
少なくとも映像的には、勝負が怖くて逃げているのである。
posted by おおおかとしひこ at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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