2015年12月17日

展開とは、深くなること

話の展開、つまり二幕を書くことは難しい。

展開というものの捉え方が難しい。
前に進むこと、何かがやってくること、
話が転がること、移動していくこと、別のフェイズになること、
などと言葉で捉えてはみるのだが、
これで何とか思いつくこともあるし、
さっぱりな時もある。

で、今日思いついた言葉。

展開とは、深くなっていくことだ。


展開という言葉からは、
何やら二次元のイメージがする。

展開図という幾何学的なイメージ
(立方体がひらいていく感じ)
が僕は強いからかも知れない。
展も開も、ひらくだしね。

ちなみに英語ではdevelopmentという。
これは深く掘るイメージがついてまわると思ったのだ。


展開というイメージだと、
横の移動になりがちだ。

場所を変えたり、誰か別の人に会ったりだ。
勿論、どこかへ行ったりニューカマーが来るのは、
大事な展開である。
しかし、展開した気になっていて、
本当は展開してないんじゃないか、
と空間移動ばかりのときは疑ったほうがいいのではないか?

初心者は、ロードムービーをすぐ書きたがる。
移動していく感じが気持ちいいし、
しかも展開した気になるからだ。
これは以前も書いたと思う。

書けないとき、
無理矢理場所を変えると展開した気になるものだ。
その最も簡単なものは、誰かから電話がかかってきて、
「今すぐ○○に来い!」である。

今の空気を中断して、別の所へ移動できる。
移動を引き伸ばして、その間に呼び出された理由を考えればいい。
呼び出されたからには何らかのコンフリクト、
衝突が起こるわけで、新展開には持ってこいだからだ。
(呼び出されたが相手は来ない、しまった、罠だ、という変化球も可能)

Mi5は、横への移動の連続である。
手がかりを追い、何か局面が変わり、
手がかりが失われるが、まだ手がかりは糸一本繋がっている、
次の場所へ、
ということの繰り返しで成り立っている。
そのテンポもスピーディーだから、
目まぐるしく話が転がっているように、思える。

しかしそれは表面的なストーリーが動いているに過ぎない。



展開とは、深くなることである。

どういうことかというと、
主人公の心のなかに、より深く入っていくことである。

主人公からすれば、
表面上の気持ちや行動だけではダメで、
より自分の存在の根幹に関わることに、
対処しなければならないことを意味する。

出来れば触れたくなかった、
過去のトラウマ、自分の内的問題などに、
物語がはじまった当初より、
深い部分で関わらざるを得なくさせる。

つまり、徐々に、自分というものに向き合わざるを得なくさせる。
そもそもの自分の立ち位置、ルーツ、昔夢見てたこと、
自分の大事にしてることで他人に言わなかったこと。
それらの心の深い部分に触れ、
じゃあ今どうすべきなのか、
どう考えるべきなのか、に触れていく。

「タイムスクープハンター劇場版」の批評でも述べたが、
二幕の前半、主人公に新人の子が「何故この仕事に?」
と問う場面があって、とても上手いと思った。
主人公の心の奥により潜ることを、外に出せる質問だからだ。
そこで語られた主人公の思いはとても良く、
感情移入に足る素晴らしい深さだった。
問題は、この場面はのちのどの場面とも繋がっていなかったことだけど。


あなたが旅をともにしているその主人公の、
心の深くに入っていこう。
だから感情移入は深まるし、
表面上の展開だけではなく、
「今後起こる展開が、主人公にとってどういう意味があるのか」が、
加わって行くのだ。
(そして主人公は、いずれ自分の内的問題を、
自力で解決しなければならない。
外的問題の解決によってだ。
この一致する瞬間がカタルシスなのである。
相変わらずドラマ風魔で言えば、
仲間の死によって、小次郎は自分の深いところを問うことになる。
忍びとは何か?に)


要するに、事件の解決をただ追い、展開させるのは、
「浅い」のである。
Mi5は、とても面白い、しかし浅い話だったのだ。

逆に深いとは、
個人そのもの、人間の尊厳、人の思い、
人の心の奥底の深い何か、
などのことに、
触れることを言うのではないか?


展開とは、ひらいたり転がることでもあるし、
より深くなることでもある。

勿論、主人公の欠落や渇きに、
主人公が向き合い、
それを埋めるために自ら変わり、
それを手に入れること。
「それ」が、テーマであるのだが。

Mi5も、キャプテンウルフも、テーマのない映画なのだ。

映画は、事件とその解決である。
外的な事件と解決を描くことで、
主人公の内的な問題の解決も同時に描く。

その展開部とは、
事件の解決過程の展開であり、
主人公の内的物語の解決過程でもあるべきだ。

だから、はじまった当初より、
主人公の心の深いところに、
降りていかなければならない。



この深みを見ることが怖くて、
執筆が止まるのではないか、
という仮説を今立てているところだ。
深淵をのぞく者の恐怖、といったところか。
posted by おおおかとしひこ at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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