2016年07月09日

リライトでよく起こる問題

何をどう直すか。
リライトで難しいのはここだ。
今どうで、理想形はこうだ、というのがそもそも難しい。

現状認識があらゆる文脈から見て正しい保証もなく、
理想形が「こう」だとして、
(先日運動神経で議論したように)その通りになる保証もない。


もう少し現場レベルで起こりやすい問題について。
具体と抽象がごっちゃになること。


具体的なリライトを、
AからBに直すこと、
抽象的なリライトを、
XからYに直すとあらわそう。

例がないと分かりにくいので、
てんぐ第三話「爆音ギタリスト」を例にとる。

Aは、
たとえば「髪型を変えたことで、吹っ切れた」だとすると、
今回のリライトで、
Bが「新曲を作ったこと」に相当する。
(前バージョンのものと両方読んでる人じゃないと分かりにくいかも)

どちらの具体も、抽象的には、
Xは「母のプレッシャーから抜け出ること」
を書こうとしているということ。


本題。

Aがいまいちなので、リライトしたいとしよう。
その時、
XをリライトしてYにする(そのようなBにする)のか、
Xはそのままに、AをBにリライトするのか、
その方針を立てることがとても難しいことが、
リライトが難しい根本ではないだろうか。


この場合、
X「母のプレッシャーから抜け出す」ことは、
妖怪いい子退治の結末、つまり問題の解決として正しいはずであるし、
そのように冒頭から作っている。

ただ、それがAでは物足りない、と感じたことが、
ぼくのリライトの動機だ。


ここで、Yに変える、
たとえば「母を殺す」にする手もある。
Bの候補は、
「物理的に殺す」
「近所で恥をかかせて母の権威を落とし、社会的に殺す」
「母の勢力の及ばないところ、たとえば外国に行くとか、
テレビ出演して田舎に認められる」
「実の子じゃなかったと分かる」
などを思いつくことが可能だろう。

仮にBを「テレビに出る」とする。

A「髪型を変えて吹っ切れた」→B「テレビに出たことで認められる」
X「母のプレッシャーから抜け出す」→Y「母の権威失墜」
というリライトの表を作ることが出来るだろう。

さて、リライトのときに起こる問題は、
問題を議論しているときに、
ABXYを、混同しやすいということなのだ。

自分一人の中のリライトならまだしも、
他人と意見を交換しあいリライトを進めるプロの現場では、
ますますこの混乱が起きやすい。


「Bにしたほうがいいんじゃないか?」
というアドバイスが、
「XのままでAをBに変えればいい」なのか、
「AをBに変えればいいと思っているが、XがYに変わることに気づいてない」なのか、
「Xを変えるべきだが、Yがベストと思っている訳ではない」なのか、
「Bがただ好きだからそうして」なのか、
「Xはそのままでよいが、具体がAはダメだ。たとえばBを思いついたが、
更によいCを考えてくれ」なのか、
深く話さない限り、
区別できないのである。


YBの組み合わせに、
指示通り、文字通り書き直したとしても、「なんか違う」となり、
迷路に入ること確定なのだ。



今回のリライトでは、
Xをそのままに、新たなBを思いつくことを考えていた。
ただXに即至ることは難しいから、
その前段階としてのYを加えた。

「田舎では権利の塊と思っていた恐ろしい大王のような母が、
東京に来るとちっぽけに見える」という前段階を置くことで、
「彼女も人間の一人にすぎない」と、
真理の心を軽くさせることに成功している。

あとは新曲で、前段の伏線(ピンクのカバ)、シドヴィシャスの話を、
統合すればよい。
結果的に、Aの象徴も援用して、
今回のリライトバージョンとなったわけだ。

記号で書くなら、
XAの組み合わせを、XBにするのではなく、
YB→XAという二段組にしてみたわけである。

ただ新曲を作っただけで「いい子」退治にはならない、
と僕は思ったので、
こういう構造になったわけだ。
もちろん、新曲タイトルを「ピンクのカバ」にして、
「落ちは冒頭と関係する」という原則を貫いていることは、
特筆に値するだろう。



リライトは難しい。

何故なら、

他人同士の話だと、XYABの、どの話をしているのか、
すぐには分かりにくいこと、

Xであることが、正確に読み取れていないこと、
正確にYになることを予測することが難しいこと、

また、XYを読み取る力がなく、ZWだと勘違いしていることが多いこと、
(つまりXYABの話と、ZWABの話が、噛み合ってないにもかかわらず、
AとBのどっちがいいかだけを延々議論しているばかげた現場)

などの、何が問題となってリライトがうまくいかないかを、
すぐには判断できないからである。


自分の能力の問題、読解力の問題だけなら、
半年寝かせて、以下繰り返しで、大きくはうまくいく。

これがプロの現場だと、混乱だけが拡大していく。



リライトを許さないほど、完璧なものを書けば皆黙るのではないか、
と若い頃の僕は頑張っていたが、
そこまでの実力は望むべくもないことと、
偉大なる現場でも、偉大なる勘違いが起こっていた事を知った事で、
ひたすら、「正しく見ること」だけを注意して議論するようになった。

まずは、あなたが正しく見ることだ。
相手が間違って見てないか、判断することだ。
どっちも斜めに間違っていることもある。
それは、運動神経の悪い人が、
自分の体の位置を正確にとらえられていないことに、とても似ている。
posted by おおおかとしひこ at 17:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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