何をどう直すか。
リライトで難しいのはここだ。
今どうで、理想形はこうだ、というのがそもそも難しい。
現状認識があらゆる文脈から見て正しい保証もなく、
理想形が「こう」だとして、
(先日運動神経で議論したように)その通りになる保証もない。
もう少し現場レベルで起こりやすい問題について。
具体と抽象がごっちゃになること。
具体的なリライトを、
AからBに直すこと、
抽象的なリライトを、
XからYに直すとあらわそう。
例がないと分かりにくいので、
てんぐ第三話「爆音ギタリスト」を例にとる。
Aは、
たとえば「髪型を変えたことで、吹っ切れた」だとすると、
今回のリライトで、
Bが「新曲を作ったこと」に相当する。
(前バージョンのものと両方読んでる人じゃないと分かりにくいかも)
どちらの具体も、抽象的には、
Xは「母のプレッシャーから抜け出ること」
を書こうとしているということ。
本題。
Aがいまいちなので、リライトしたいとしよう。
その時、
XをリライトしてYにする(そのようなBにする)のか、
Xはそのままに、AをBにリライトするのか、
その方針を立てることがとても難しいことが、
リライトが難しい根本ではないだろうか。
この場合、
X「母のプレッシャーから抜け出す」ことは、
妖怪いい子退治の結末、つまり問題の解決として正しいはずであるし、
そのように冒頭から作っている。
ただ、それがAでは物足りない、と感じたことが、
ぼくのリライトの動機だ。
ここで、Yに変える、
たとえば「母を殺す」にする手もある。
Bの候補は、
「物理的に殺す」
「近所で恥をかかせて母の権威を落とし、社会的に殺す」
「母の勢力の及ばないところ、たとえば外国に行くとか、
テレビ出演して田舎に認められる」
「実の子じゃなかったと分かる」
などを思いつくことが可能だろう。
仮にBを「テレビに出る」とする。
A「髪型を変えて吹っ切れた」→B「テレビに出たことで認められる」
X「母のプレッシャーから抜け出す」→Y「母の権威失墜」
というリライトの表を作ることが出来るだろう。
さて、リライトのときに起こる問題は、
問題を議論しているときに、
ABXYを、混同しやすいということなのだ。
自分一人の中のリライトならまだしも、
他人と意見を交換しあいリライトを進めるプロの現場では、
ますますこの混乱が起きやすい。
「Bにしたほうがいいんじゃないか?」
というアドバイスが、
「XのままでAをBに変えればいい」なのか、
「AをBに変えればいいと思っているが、XがYに変わることに気づいてない」なのか、
「Xを変えるべきだが、Yがベストと思っている訳ではない」なのか、
「Bがただ好きだからそうして」なのか、
「Xはそのままでよいが、具体がAはダメだ。たとえばBを思いついたが、
更によいCを考えてくれ」なのか、
深く話さない限り、
区別できないのである。
YBの組み合わせに、
指示通り、文字通り書き直したとしても、「なんか違う」となり、
迷路に入ること確定なのだ。
今回のリライトでは、
Xをそのままに、新たなBを思いつくことを考えていた。
ただXに即至ることは難しいから、
その前段階としてのYを加えた。
「田舎では権利の塊と思っていた恐ろしい大王のような母が、
東京に来るとちっぽけに見える」という前段階を置くことで、
「彼女も人間の一人にすぎない」と、
真理の心を軽くさせることに成功している。
あとは新曲で、前段の伏線(ピンクのカバ)、シドヴィシャスの話を、
統合すればよい。
結果的に、Aの象徴も援用して、
今回のリライトバージョンとなったわけだ。
記号で書くなら、
XAの組み合わせを、XBにするのではなく、
YB→XAという二段組にしてみたわけである。
ただ新曲を作っただけで「いい子」退治にはならない、
と僕は思ったので、
こういう構造になったわけだ。
もちろん、新曲タイトルを「ピンクのカバ」にして、
「落ちは冒頭と関係する」という原則を貫いていることは、
特筆に値するだろう。
リライトは難しい。
何故なら、
他人同士の話だと、XYABの、どの話をしているのか、
すぐには分かりにくいこと、
Xであることが、正確に読み取れていないこと、
正確にYになることを予測することが難しいこと、
また、XYを読み取る力がなく、ZWだと勘違いしていることが多いこと、
(つまりXYABの話と、ZWABの話が、噛み合ってないにもかかわらず、
AとBのどっちがいいかだけを延々議論しているばかげた現場)
などの、何が問題となってリライトがうまくいかないかを、
すぐには判断できないからである。
自分の能力の問題、読解力の問題だけなら、
半年寝かせて、以下繰り返しで、大きくはうまくいく。
これがプロの現場だと、混乱だけが拡大していく。
リライトを許さないほど、完璧なものを書けば皆黙るのではないか、
と若い頃の僕は頑張っていたが、
そこまでの実力は望むべくもないことと、
偉大なる現場でも、偉大なる勘違いが起こっていた事を知った事で、
ひたすら、「正しく見ること」だけを注意して議論するようになった。
まずは、あなたが正しく見ることだ。
相手が間違って見てないか、判断することだ。
どっちも斜めに間違っていることもある。
それは、運動神経の悪い人が、
自分の体の位置を正確にとらえられていないことに、とても似ている。
2016年07月09日
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