殆どのシーンは、つなぎのシーンである。
「全てのシーンでは事件がおき、
何らかの変化が起きなければならない」
なんて言う教科書もあるけど、
僕はそうは思わない。
何故なら、ほんとに大きな事件は、
物語のなかで数えられる程度だからだ。
勿論全てのシーンで小さくとも事件がおき、
何らかの変化をするのだが、
それは結果であり、目標ではないと考える。
全てのシーンで事件を起こさねば、
と焦れば焦るほど、事件のネタがすぐに尽きてしまう。
次から次に面白い事件を起こして、
未解決事件の山になってしまう。
物語のなかで「本当に面白い事件」は、
大抵冒頭と中盤にいくつかと、クライマックスあたりにしかない。
それは選り抜き、徹底的に選り抜かれるべきである。
インパクトがあり、意外性もあり、
他に似たものがなく、
他から明らかに目立つものであるべきだ。
そこさえしっかり出来ていれば、
他のシーンはつなぎだと考えると良いだろう。
そうでないと、骨格を見失うことになる。
どれが大事かが骨格で、
目の前のことはただの進行の砂かぶりである。
勿論、砂かぶりは砂かぶりなりに面白くあるべきだけど、
大と小を混同するべきではない。
場繋ぎのトークを想像しよう。
そんな感じだ。
そのトーク内に重要な部分が一切なければ、
ただの消えてなくなるものであるが、
重要なことがひとつでも含まれていれば、
場繋ぎはその重要へ至る導線、という役割を持つことになる。
であるならば、
場繋ぎは温度を暖めるだとか、伏線を張るだとかの、
役割を持つものである。
その役割なりの、小さな事件と変化があれば、
次へ結果的に繋げるわけである。
殆どのシーンはつなぎのシーンである。
そう思って、重要な所のシーンだけを抜き出して、
プロットを俯瞰してみるといいだろう。
2016年09月02日
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