2017年02月07日

この感覚、わかる

創作の目的なんて、
煎じ詰めればそういうことではないか?
自分だけがわかるこの感覚、
誰かわかるやつはいないか、という。


何故同人誌があんなにも沢山あるのか見ればわかる。
みんな、誰かわかるやつはいないか、
と同志を探している。

微妙で狭いところかも知れないが、
誰かわかるやつはいないか。
そうか、わかってくれるか、友よ。
そういう会だ。

だから、そうでない人に用はない。
そうでない人が文句をつけるのは筋違いという、
大人同士の会でもある。

いわば、閉じていることを前提としている。


我々が目指すプロフェッショナルというものは、
開いている。
誰が見てもいいし、誰が文句をつけてもいいし、
誰もが文句を言う権利があるし、
誰もが批判する権利があるし、
誰もが誉めてもいい。

そこに、
「誰かわかるやつはいないか」と、
誰もがわかるものではないものを入れても、
わかるわけがない。

「わかんねえよ」と言われるだけだ。
わかんないものは、「へたくそ」扱いされる。
それが、開いている場だということだ。

そこで上手と言われる作品は、
「誰もがわかることを、
なるべく多くの人が、『わかるよ』と言えること」
を表現している。

ここには二つのファクターがある。
誰もがわかることを題材にしているか。
そして、それを『わかるよ』とため息をつくほどの、
素晴らしい表現にしているか。

実際のところ、三つ目のファクターがある。
それは、
「まだ飽きてない『わかるよ』があるか」だ。
既に経験した感覚は、
何度でもいい(王道)と、
飽きてきた(ベタ、手垢)に分かれる。
既に経験してない感覚が、
「新しい」「新鮮」「新感覚」と呼ばれるわけだ。

しかしながら、新しいことは、
上二つのファクターを満たしている保証がない。


こうして、
新しいことをやればやるほど、
開いた場ではむつかしく、
閉じた場の表現になっていきがちなのだ。

マイナーという一言でこの問題を考えてはいけない。
「その新しい感覚」は、
誰もが気づいてないだけで、
実は次のメジャーになりうる、
次世代のスタンダードかも知れないからだ。

一見閉じているように見えるマイナーとも誤解される、
その新しいことは、
どうすれば開いたものになるのだろう。

ふたつある。

ひとつは、その新しさをグレードダウンすること。
そこまで尖らせずに、
ちょっと丸めて、誰もが食べやすいものにすることだ。
シュガーコーティングと呼ばれるテクニックである。

もうひとつは、
その新しさをグレードダウンすることなく、
表現で橋渡しをうまくする方法だ。

相対論は、その正体は虚数を含む偏微分方程式だけど、
「ウラシマ効果」という開いたSF表現で、
皆の心に届いたわけだ。

新しさをグレードダウンしては、
本質に妥協したことになる。
送り手も、受け手も、
微妙バージョンを共有することになる。

しかしウラシマ効果ほど開いたものにならないのなら、
やっぱりマイナーの烙印を押されるだろう。


抽象的で申し訳ない。

僕は、後者のことをやろうとしては、
成功したり失敗したりしている。
どれくらいのことを、どれくらい分かるよね、
という距離感は、色んな人と話すことでしか磨かれない。
世の中には、ほんとに色んな人がいる。
僕の作品の、好きなところがまるで違っててびっくりすることもある。
そこ?みたいな。

それらは、開いた表現ならでの経験だ。
閉じていたっていいことはないのだ。
仲間内でしか喋らないOLと、
キャバ嬢では、後者の方が話がうまいのだ。

あなたは、話がうまく、かつ、新しい「わかるよ」を、
作り上げなければならないのだ。
難しいけどね。
posted by おおおかとしひこ at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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