その新しい感覚は、どういう感覚?
それを一言で言えないから、
ストーリーとして表現するのである。
たとえば、
「プチプチを潰す」というのでやってみよう。
自分だけがその快感を知っていて、
みんな知らない、と仮定する。
知らない人にそれを『わかるわー』と言わせるには、
共感させるには、どうすればいいだろう。
「いいからやってみ」と現物を直接勧めるのが、
最も原始的だ。
しかしそれは表現ではない。
最も下手くそな商品のコピーは、
「やっぱこれだね」「試せばわかる」などの、
知らない人を前提にしていないものだ。
それを知らない人、分からない人に、
それが目の前にない人に、
その感覚をわかるように伝える。
これが表現である。
まず一人称でやってみる。
実は、一人称は地の文で解説可能だ。
俊彦はプチプチを潰し始めた。
プチプチとは、透明な柔らかいビニールで作られた緩衝材である。
幾何学的に気泡が並べられており、規則的なブツブツが出来た膜のようなものだ。
割れ物などを段ボールに入れて運搬するとき、
プチプチで包むと割れにくい。
気泡部分がクッションになるからだ。
強い衝撃で気泡がプチッと割れることもある。
包んだ本体の身代わりになってくれるのだ。
俊彦は、そのプチプチを取り、端から順番に気泡を指で潰し始めた。
プチッ。プチッ。
指に気持ちのよい弾力が抵抗し、
耐えきれずに割れていく。
規則的に並んだ気泡を規則的に潰していく行為は、
中毒性があった。
プチッ。プチッ。プチッ。二列目。三列目。
命を奪う神は、このような快感があるのか。
それとも無心に潰していくだけなのか。
気がつくと俊彦は、手に取ったプチプチの、全ての気泡を潰していた。
「……もう一個、ねえかな」
まあこんな感じかな。
これは三人称におけるストーリーではない。
客観的なストーリーは、
「俊彦がプチプチを潰し、終えて、呟く」だけだ。
そこに地の文の「描写」で、「引き延ばして」いる。
客観的な絵面だけで分からない内面や、
物理的解説をつけることで、
わからせる表現になっているわけだ。
では、我々の主戦場、シナリオなる三人称ストーリーで表現してみる。
○工場
俊彦「なんでそんなこともう一回やらなきゃいけないんですか。
もう終わったことでしょ?」
上司「発注があればやる。それが仕事だ」
俊彦「合理的じゃないですよ。効率が悪すぎ」
上司「とにかくやるしかないだろ。明日までだ」
俊彦「…すぐ取りかかれないんですが」
上司「今こっちに部品が向かってる。待機せよ(去る)」
段ボールに積まれた部品の山。
俊彦、納得がいかない顔で座る。
段ボールの中の緩衝材(プチプチ)を何気なく出し、
プチプチ潰し始める。
俊彦「…」
一心不乱に、プチプチ潰す。
まあこんな感じかな。
何が違うのか。何度も書いてきたことだ。
「目的」である。
理不尽さへの怒りというストレス、
しばらく待たなきゃいけない停止した感じ、
そういうときに、手すさびにすること。
そんな気持ちという動機を描くことで、
この行為は「代償行為」であることがわかる。
柔らかい感じやプチッと潰す快感は、
絵を撮ればわかるから解説は不要だ。
そもそも、「なんでそれをするのか」を描き、
それをするとどうなるのか
(この場合、ストレスがちょっと解消される)
という変化を描く。
それがストーリーであった。
プチプチを潰す快感を知らない人に、
伝える方法は、
つまりは解説するか、
同じ気持ちになってもらうしかないわけである。
前者は一人称のやり方で、
後者は三人称のやり方だ。
同じ気持ちになってくれれば、
知らない人でも、こういう気持ちのときの、
こういう変化を及ぼすものだ、と分かって(感じて)くれる。
これは、AをAで表現することではなく、
A(快感)を、B(動機、きもち)で表現しているわけだ。
あとはこのストーリーを、
もっと面白いもの、目を引くものにしていく工夫をしていくとよい。
あなたが知らないものを勧められたとき、
「なんでそれをしなきゃいけないの?」
と聞くはずである。
つまりそれは、目的を明らかにしようとしているわけだ。
なんか気持ちいいとか、ストレス解消になるとか、
メリットを説明するのは「説得」という。
一人称的な描写や解説が向いている。
ストーリーによる表現は、「共感」という。
ともに同じ感情になることをそういう。
ふつう共感というと、
「互いがすでに知っていること」を了解しあうという意味である。
しかしそれでは一生「知らない感覚」を想像することができない。
ストーリーによる「新しい」共感とは、
「すでに知っていること」から「新しいことを類推すること」
から得られるわけだ。
ストーリー形式ではないが、
「たとえばなし」はこれと同じ構造を持っている。
ストーリーによる共感の構造は、
Aと似ている構造A'(たとえばなし)を使うのではなく、
ストーリーの構造(コンフリクト、舞台設定、目的、変化)Bで、
Aを表現していることになる。
もちろん、違う構造だから、「完全に一致」はない。
「より的確なストーリー」はあるかもしれないが、
「点数をつけられる構造」はない。
「より感情の動くストーリー」はあるかもしれないが、
「二倍感情が動く」などと数値化できるものでもない。
「知らないことだが、なんだかわかる」という感覚が、
ストーリーによって伝えることである。
うまく伝えること。
深く伝えること。
ストーリーに出来る伝え方は、こういうことである。
これを言葉一発で伝えるのが、キャッチコピーだ。
宣伝文句とかスペックはキャッチではない。
このような「感覚をうまく伝えられる」のがいいキャッチだ。
「恋は遠い日の花火ではない」なんて名コピーは、
OLDを飲むときの「感覚」をうまく伝えてくれる。
あなたのその「新しい感覚」は、
どのようなストーリー構造で伝えることが出来るのだろうか。
そのために、事件、解決、展開、サブプロットを組むのである。
「テーマを口で言う」ことが、
いかにこのことが出来ていない、バカの所業であるかわかるだろう。
2017年02月07日
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