「書く」ということについてのこと。
思考というのは、
川の流れのように滔々とあり、
それをタイピングなりペンなりで、
遅れないように書き付けていくものだろうか。
僕は違うと思う。
思考というのは、断続的な、塊として存在する気がしている。
タイプウェルの30秒で400字打ってる動画などを見て、
凄いなあとは思うものの、
それが自分で打ってるイメージが湧かない。
何故だろうと考えていたら、
あんなに間断なく、ことばが涌き出てくるわけがない、
ということに気づいた。
思考は等速直線運動ではないのである。
何か、塊として出て、
それを次にどうするかまた考えて、
また塊として、出てくるものだと僕は考える。
工業的効率を考えるならば、
思考は等速直線運動的に、
川の流れのように滔々と流れ出て、
そのスピードでタイピングしていけば、
思考の記録としての文章が出来上がるような気がする。
工場のライン設計のようなイメージだ。
それならば、タイピングスピードも、
しゃべる速度に上げていくことが理想的な気がする。
しかし、そもそも思考が、
分断的にしか出てこない、
間欠泉のようにしか出てこないのだとしたら、
タイピングはそこまで上げなくてもいいのではないか、
と、感じたわけだ。
もっとも、出来ないことを見て、
必要ないと強がっている心理も働いている可能性もある。
だけど、400字を30秒で思考するのだとしたら、
じゃあ映画の脚本なんて、
60分で思考し終わり、その60分でタイプし終わってしまう。
勿論「120枚の手書き原稿を文字うちする」という用途に限れば、
タイピングスピードは速い方がいいだろう。
ところが、
私たちの仕事のメインはその思考する部分である。
それは60分で出てくるものでないことぐらい、
実感として知っているだろう。
数行を、数十行をひねり出すのに唸り、
寝転がり、散歩し、
書き付けたら、
また唸り、「思考を足していく」という時間配分であることぐらい、
いつもやっていることだ。
ということは、
思考は、川の流れのように出てきている訳ではないのである。
言葉による思考は、
脳のなかで何が起こっているかは分からないが、
コーヒーのフィルターのように、
脳内にある何かを濾して、出てくるような気がする。
つまり、脳内をまぜっかえしてフィルター前にセットする作業と、
それらから何かを抽出する作業の、
二段階をやっている気がする。
フィルターを濾して、
ある程度の量の思考が言語になれば、
その豆からはあまり汁は出ない。
そこで次の思考をするために、
脳の別の引き出しを開けたり閉めたり、
全然違うことを考えたりして、
脳のなかをまぜっかえす作業に戻る。
で、それから何かを出せそうだなと思ったら、
フィルターを用意して待つ。
その繰り返しじゃないかな。
で、今日はもうまぜっかえしても出ないや、
という脳の疲れが、睡眠を要求するのである。
経験上、
風呂トイレ散歩が、
アイデアの閃きやすいところだ。
実はここは、
「メモとして言葉を吐き出せない場所」なのだな、
ということに最近気づいた。
もちろんケータイやメモ帳を取り出して、
すぐにメモをすることは出来なくはない。
しかし白紙の前でうなるよりも、
アイデアがまとまりやすいのは、
逆説的に白紙が目の前にないからではないかと思う。
すぐにメモを取ることが出来ない状況だからこそ、
頭の中で思考を回し、
ことばや思考を洗練させていく過程があり、
だからこそ、
白紙に吐き出していくだけの時よりも
アイデアがまとまりやすいのではないかと思うのである。
書けないから頭の中で思考が形になりやすい、
そういうこともあるわけだ。
逆に、
思いついたからといってすぐメモしてしまうと、
せっかくのアイデアを生煮えにする可能性もある。
頭の中で色々と転がしてからでないと、
アイデアとしては万全でないかも知れないのだ。
(忘れてしまう、というリスクもあるけれど)
文章を書く、ということは、
その繰り返しではないかと思う。
タイプウェルは、他人の文章を入力する、
タイピストという特殊な職業訓練のものでしかない。
私たちは、考えることがメインであり、
それを書き付けられさえすればいいのだ。
そしてそれは、
数分から二時間程度しか持続せず、
その中でもホットタイムは15分ぐらいだと思う。
そのいいときを、タイピングで記録するよりかは、
手書きのほうが勢いが確認できていいとは思っている。
じゃあ何のためのタイピングか?
やっぱり、プロタイピストを雇えばいいだけの話だと思うな。
それが出来ないから自分で打ってるだけに過ぎないよね。
タイプウェル挫折の言い訳ではなくて、
タイプウェルが万能ではない、というだけの話だ。
職業訓練としてのタイピング速度は、
あって困ることはないから、
ブラインドでAランク行くまでは訓練してやろうとは思っているが。
秒4打で100秒切るんだろ?
やってやれないことはないと思うんだ。
ちなみに、しゃべるときは大体300字/分なんですって。
3000字/10分。
しかし実際の会話は掛け合いの中で思考していくので、
一方的な喋り(たとえば講演)とは違うんだよね。
我々の脳内言語は、たぶんそこまで速くなくて、
しかも間欠泉のようにしか出てこない。
多分、沈黙している時のほうが長いと思う。
思考の速度をあげるには?
そこは既にやった、という場面を増やすことである。
そうしたら、新たな状況ではなく、
すでに考えた結論や思考過程をなぞればいいだけだ。
バカと頭のいい人の違いは、
過去にどれだけ思考してきたかの量に比例する。
しかしながら、
創作という思考は、
常に新しいことを考えなくてはならないわけだ。
時間がかかるのも当たり前で、
テンプレに落とし込んだ場面に逃げたくなる心理も、
よくわかるというものだ。
楽しては、新しいものが出ない。
思考を継ぎ足し継ぎ足しして、
積み上げた新しいものだけが、
新しいものになりうる。
そのスピード自体は、創作者でたいして変わらないと思う。
そういうわけで、
今ちょっと作品づくりが停滞している。
これは新しいものを作っているときの苦しみである、
と理解することにしている。
2017年03月12日
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