2017年04月02日

脚本にストーリー部分はどれくらい入っているか

前記事の続き。
では、そのストーリーの論理的因果関係だけが、
脚本か?

そんなことはない。
ではその何%ぐらいはそうなのか?
その他の部分はなんなのか?


容易に考えられるように、
その他の部分とは、感情の部分である。

我々の感情がどこで震えるかは置いといて、
登場人物の感情の部分だと考えると分かりやすい。

たとえば、笑ったり泣いたり、喜んだり悲しんだり、
取り乱したりドキドキしたり、
不安になったり自信を得たり、
天狗になったりわるだくみをしていたりする、
そういう時間である。

一人でいてもいいし、誰かといても集団でいてもいい。
一言でいえば、「ひとときを過ごしているとき」と纏めてもいい。

そこで彼ら彼女らは何をしているか。
何もしていない。
いや、物理的にはコーヒーを入れたりシャワーを浴びたり音楽をチョイスしたり、
スマホを見たりするかも知れないが、
それはただのひとときを過ごしているに過ぎない。

あるいはおしゃべりを楽しんだり、ケンカしたりしている。
あるいはその取り巻きになったり、輪に入ったり、
リアクションしたりする。
(このリアクションは日本語のリアクションで、
手を叩いて笑うとか驚くとかのバラエティー程度の意味であり、
脚本用語のリアクションとは違う。
脚本用語のリアクションは、反応したあとの行動まで意味する。
行動なき反応が日本語のリアクションの意味だ)


このとき、時刻は進むが、ストーリーは進んでいないことに注意されたい。

初デートの例をもう一度引っ張ってくるとすると、
どんなに楽しいひとときを過ごそうが、
どんなに詰まらない失敗したデートだろうが、
そのまま終われば、時刻が進んだだけでストーリーは進展していない。
「とても楽しかった、また会いたいし、二人の関係を深めたい」
と交渉をすれば、進展する。
あるいは、
「今日のデートは大失敗だったので、挽回のチャンスを下さい。
僕はきみと楽しいひとときを過ごして、関係を深めるのが目的だったので、
今日はなかったことにしたい 」
と交渉をすれば、進展するわけである。

もっとも、「期待したのと違ったので、進展を打ち切りたい」
と向こうが交渉してくることもある。
それでも進展は進むわけである。

どんなひとときを過ごそうが、
どんなリアクションがあろうが、
それは感情の部分であり、
ストーリーの進展にはならない。
もっとも、感情が行動の原因になるから、
詰まらないデートは、関係の進展(別れる)の原因に十分なるし、
それは交渉の余地のない展開かも知れないが。


さて。

映画脚本は、
論理的因果関係の、ストーリー部分と、
感情の部分の、
ふたつをバランス良く配分するべきだ。

ひとときを過ごしてただ終わるだけでは、ストーリーがないし、
感情の部分がないのなら、ただのレポートに過ぎない。
それは、どちらも映画ではない。

「ララランド」は、
その意味で、ストーリーのパートがあまりにも貧弱だった映画だ。
ほとんどのシーンではひとときを過ごしていただけだった。
音楽もひとときの表現にしか使われず、
何かの進展を表現していなかった。
(音楽が流れる前とあとで、何か変わったことがあったか?
オーディションぐらいじゃないか、変わったのは)
なぜそういう展開になるのか、
そういう理屈がほとんどなく、
ただあった出来事を並べただけだ。
こうだからこうなる、という因果関係がほとんど希薄であった。

逆に、因果関係の濃厚な映画に、
「11人の怒れる男」(オリジナル版以外認めない)
がある。
しかし感情的な部分が全くないかというと、
全然違ってて、
登場人物たちは実に感情豊かな人間として描かれている。
泣いたり笑ったり退屈したり緊張したり、
正義感にかられたり後悔したりだ。
ここの部分があるからこそ、
この映画は論文ではなく映画なのだと僕は思うわけだ。


昨今の詰まらない映画は、
この感情の部分だけをやっているような気がする。
ストーリーがない、貧弱な気がする。
そういう制作者は「11人の怒れる男」を見てないのかも知れないね。
ただひとときを過ごして、そいでおしまい。で?となる映画ばかりのような気がする。

要するに、左脳を働かせていないバカなのだ、
と指摘するのは簡単だけれど、
僕はこの現状を変えたいと思っていて、
諸君にも面白い話を作って欲しいわけだ。(←ここ感情)



脚本には、
ストーリーの部分と、
感情の部分がある。
5:5とか6:4とか7:3とか、配分には色々あるだろう。
たとえば私情を挟めない軍人の話なら、
感情を殺さなければならないだろうし。

邦画の予告が、どいつもこいつも泣き叫んでばかり
(すなわちリアクション)だと、以前書いたと思うが、
それは感情のことばかりをフィーチャーした結果、
ストーリーが崩壊したからかも知れないね。
(邦画もテレビも女子供のものだって?
じゃあ女子供は感情ばかりのバカばかりということになるぜ。
知性ある女たち子供たち、ノーを言うんだ!)


あなたの脚本の中で、
ストーリーが進展する部分に赤線を入れてみよう。
それが少ないなら、
増やしてみることを考えよう。
ただひとときを過ごすだけの脚本が、昨今多すぎる気がしている。
勿論、ひとときを過ごす場面はとても重要だ。
人はそこで心奪われるからである。
posted by おおおかとしひこ at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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