「親指シフト 挫折」「親指シフト 断念」などで検索すると、
辞めてしまった理由を明記している人が沢山いることがわかる。
親指シフトそのものに挫折した人も勿論いるんだけど、
実はその手前で挫折してしまった人もいる気がするので、
この記事を書くことにした。
そもそも「nヶ国語をマスターすること」
というもっと大きなレベルで、
新配列マスターにつまづくんじゃないか?
心理テストをしよう。
あなたは暗闇の中でさまよっている。
山小屋が見えてようやく安心した。
中に入ると誰もいなかったが、
テーブルの上には燭台があり、
蝋燭の火が灯されてあなたは安心した。
この蝋燭、あなたの中のイメージは何本?
(シンキングタイム)
これはあなたの浮気度を測るテストだ。
あなたが何本の蝋燭で満足して安心できるかは、
何人のパートナーとなら満足できるかの、
深層心理を示しているんだそうな。
科学的根拠はないけど、なんだかほんとっぽい。
ちなみに僕は3本。
ここからが仮説なんだけど、
この数は「同時並行できる数」に比例しているような気がするんだ。
仕事を何本掛け持ちできるか、
生活のマルチタスク
(たとえば子供の相手をしながらネットで買い物しながら食事の用意をする)、
自分の公私の顔の使い分け、
友達の多さ、
やった部活の数、趣味の気の多さ、
などに関係している気がする。
勿論完全比例じゃないとは思うけど、
なんとなくの比例関係はありそうな。
で、nヶ国語をマスターするときの話。
英語をマスターするとき、つまり中学の頃を思い出すとよい。
仮に、
「完全マスターするまで日本語を使えない」
だとしたら相当辛かったと思う。
しかし中学の頃は英語の時間が終われば、
日本語の生活に戻れた。
帰れるところがあると安心できる。
留学経験は僕にはないが、
海外ロケの経験から考えるに、
日本語が使えないとストレスがたまりまくる。
(ブラジルからブログを更新した時は、
日本語が使えて楽しかった)
しかし長期滞在してくると、
二つの言葉の混在に慣れてくる。
それが普通というか、習慣というか。
途中で混同も起き始める。
一方を忘れたり、取り違えたり、
思い出したり、勘違いする。
あることを言おうとしてもう一方の言葉を浮かべることもある。
(受験英語を成功させるコツは、
英語で夢を見るまで勉強することだ。
つまり無意識下に英語がいるかいないかの判定に使える)
さらに慣れると、「使い分け」ができるようになる。
意図的にこの文脈ではこっちの言語で考え、
意図的にあの文脈ではあっちの言語で考え、
ができるようになる。
言語クラスでないにせよ、
「会社での言葉遣いや態度」と「ツイッターの裏アカウント」
を使い分ける人がいることから分かるように、
人は、場面と文脈で、顔(人格)を複数持つことができる。
これが言語でも起こるのが、
「nヶ国語をマスターする」ということだ。
英語をマスターすることは、
日本語で考えたことを、素早く脳内翻訳機にかけられることか?
そうだとしたら、あなたは英語をマスター出来なかったんだね。
英語をマスターすることは、
「英語でものが考えられるかどうか」にかかっている。
頭の中が組み変わるんだよ、英語脳に。
英語脳がイメージできない人は、
「現実を全てRPGで例えてしまう現象」を思い出すとよい。
疲れたらHPが減ったと感じ、ホイミやポーションが欲しくなったり、
誰かと会うことをエンカウントだと考えてしまうような、
ゲーム脳状態を想像するとわかるかもだ。
このゲーム脳状態は、ゲームをやめてもしばらく続くし、
現実との混乱も起こすし、
逆流入(現実のルールでゲーム世界を見てしまうこと)もある。
そして、慣れてくれば、
それぞれの文脈で、それぞれの顔を使い分けられるようになる。
英語も、公私の顔も、ゲームと現実も、
僕は同じだと思うんだ。
で、配列の話だ。
僕は、配列習得も、ほとんど同じだと考えている。
nヶ国語をマスターするときと同じようなものだと。
親指シフトを挫折した人の中には、
「切り替えがうまくいかなかった」という人がいる。
ローマ字から親指シフトに切り替えたけど、
スピードが上がらなくてもどかしくて苦痛で、
そこそこ速いローマ字に戻ってしまう。
あるいはローマ字しか使えない環境で、やめてしまう。
そういう人たちは、
ひょっとすると「蝋燭が一本の人」なんじゃないかな、
と、冒頭の心理テストに戻ってくる。
親指シフトで、ローマ字を完全に置き換えなくていいと思うんだ。
英語と日本語くらいに考えればいいんだよ。
どっちが上とかないだろ。
どっちが先に出会ってたかくらいの差だよ。
両方使えばいいのさ。
蝋燭が複数だった人はとくにね。
どうしても一つしか使わずに、
それ一筋で生きたい人は、
浮気をする人とは相容れない可能性もあるね、
深層心理的にはね。
デジタルは現実じゃない。
一番大事なのは現実。
私たちの考える脳であり、私たちの命や人間関係や歴史であり、
母国語、各種言語である。
デジタルの変換は、一番大事じゃないんだ。
そこを履き違えて、
「他に置き換えられない、
デジタルに接する一番大事なもの」と考えてしまう、
ひとすじ性が、
親指シフトを断念してしまう理由なんじゃないか。
ルートは複数あって、適度に使い分ければいい、
と僕は思うのだ。
親指シフトが一番じゃない。
あなたの考えや思考が一番だ。
ボールペンと万年筆と鉛筆を持ち歩けばいいのと同じで、
親指シフトを唯一のペンにしなければいいんだ。
そして、キー配列は、
qwertyローマ字、JISカナ、親指シフトの三つではない。
飛鳥配列、新下駄配列、月配列、
新JIS配列、蜂蜜小梅配列、薙刀式、
SKY配列、けいならべ、カタナ式、
などなど、沢山沢山あるんだ。
あなたの中の蝋燭は何本だ?
沢山ある人は、それぞれに手を出して使い分ければいい。
一本だけの人は、
一本しかないのに、どうしてほかのもっといい配列を調べないんだ?
nヶ国語をマスターすることが出来る人は、
きっと蝋燭がn本の人だよね。
駅前留学をはじめ、
これだけ人が英語を学ぼうとして、
そして挫折して帰ってくるのは、
英語スクールが悪いのか、
蝋燭が一本の人が、案外多いのかもしれない。
それでもあなたは配列を変えるのか?
自分の深層心理や能力を知らないで、
未来を想像することは出来ないと思うよ。
英語のマスター程度にしか、あなたは配列をマスター出来ない、
と僕は予言してみる。
だったら、キー配列なんてその程度で、そんなに大事じゃない。
2018年03月07日
この記事へのコメント
コメントを書く

